脱サラし、小規模デイサービス「東雲(しののめ)」を経営する大輔。返済のリスケジュールと追加の融資を頼むため、長年付き合いのある銀行を訪ねたところ、「当行からの追加融資は難しい」と突然の死刑宣告を受ける。原因は入居者の減少にあった。隣町にできたデイサービス「えんじゅ」に人が流れ、9割近かった稼働率は4割にまで落ち込んでいたのだ。父が始めた事業を潰してしまうかもしれない、と焦燥感に駆られる大輔だったが……。 ※本記事は、書籍『ストーリーで学ぶ 介護事業共感マーケティング』(幻冬舎MC)の第1章を一部抜粋したものです。高齢者施設や障碍者施設等、福祉全般の経営コンサルティングを手掛ける藤田直氏の解説と併せてお読みください。

福祉なのだから、社会が守ってくれると思っていた

夕方、「東雲」の利用者を送り出した後、大輔は自分の机に戻った。頼りにしていた銀行からの「死刑宣告」を受けて1週間。まだ「東雲」を存続するための良い考えは浮かんでこない。鬱々(うつうつ)とした気持ちを引きずりながら書類に目を通していると、スタッフの中でもひときわ大柄な岩本マネジャーが自分の前にやってきた。

 

「どうしたんですか、岩本さん」岩本は父の時代からいる介護スタッフで、いわばスタッフのボスみたいな存在だ。この熟年スタッフは、自分よりも年下で他業界から来た大輔の言うことなど何も聞いてくれない。

 

利用者に対する想いは誰よりも熱く、目配りも行き届いているので現場では昔からマネジャー的存在になっている。介護業界でのキャリアが長いので、高齢者の扱いに慣れており、頼りになるスタッフではある。現場を仕切る彼女がいなければ日常的な業務に支障が出るため、なるべく彼女の機嫌を損ねないこと──それが、これまで大輔が意識してきた事業所経営の極意だった。

 

その岩本の表情がいつにも増して険しい。「社長、北田さんが辞めるってどういうことですか?」岩本が低い声でいきなり切り込んできた。「あ、ああ……、そのことですか。ちょうど、皆さんにもお話ししようと思っていたところだったんですが、実は……先日本人と話し合って、北田さんは今月をもって『東雲』を退職されることになりました」

 

大輔が言い終わるのを遮(さえぎ)るように岩本は矢継ぎ早に問い詰める。「なんでですか? あんなに頑張ってくれていた北田さんを切るって言うんですか?」「い、いえ、これは北田さんご自身から出た話です。本人ともよく話したうえでの結論です」

 

「北田さん」というのは若い女性スタッフで、普段は事務仕事を行っているが、CG制作が得意なため、ちょっとしたパンフレットやチラシ制作の際に手伝ってもらっていた。岩本は彼女を可愛がっていたが、先日、本人から大輔に退職したいという話があったのだ。理由はもう少しクリエイターとしての自分を磨きたいということだったが、待遇面で十分に報いてあげられなかったのではないかと大輔は悔やんでいた。

 

「あれだけここに貢献してきた北田さんを辞めさせるなんて。もっと柔軟な形で働いてもらえないんですか?」岩本は納得するどころかむしろ、激高してきた。「岩本さんもうすうすは気づいていると思いますが、ウチの経営は危ない状態です……」

 

岩本は、そう言われてもピンと来ていない様子だ。「それをなんとかするのが社長の仕事では?」「も、もちろん私もなんとかしようとしています。しかし、介護事業所の多くは一昔前と違って民営の企業です。ウチも、もちろんその一つです。経営に失敗すれば当然倒産します」「それと北田さんのことに、何の関係があるんですか?」「つまり、これ以上北田さんを引き留めることはできない、ということです」

 

今まで大輔はデイの経営について、判断を間違えば潰れるビジネスだと考えたことがなかった。浮き沈みはあっても、福祉なのだから、人を幸せにする事業なのだから、最終的には社会が守ってくれるような気がしていた。この世界にいるとなぜかそんな気持ちを抱きやすいが、それは幻想であることに気づかない人は多い。

 

「先代がこのことを聞いたらなんというか。困っている人を助けるのが『東雲』なのに……。あなたを心底見損ないました。私は仕事が残っているので失礼します」そう言うと、岩本は事務室から廊下に続くドアへと向かった。「あ、ちょっと。岩本さん、待って」岩本は大輔の呼び止めに応えず、大股でドアまで一気にたどり着くと、勢いよくドアを開け、事務室を出ていった。

 

◆◆

 

岩本の去った事務室に一人残り、今月の収支表を見ていた大輔は、書類を机に置くとため息をついた。なんとなく、こんな成り行きを予想していた。理由は分からないが、岩本は「お金」の話を極端に嫌がる。

 

「何なんだ、あれは?」思わず口をついて出た独り言に、背後から誰かが答えた。「どうしたんですか、社長」「ああ、石黒君、お帰り」大輔よりも少し若い石黒は、利用者を送り届けて戻ってきたのだろう。送迎車のキーを壁のフックに掛けながら、大輔に言った。「ずいぶん疲れた顔ですよ、社長」「いや、そんなことないよ……」

 

石黒は台帳に何かを記入し終えると、グラスを傾ける仕草で大輔に言った。「どうですか? たまには一杯行きませんか?」

 

◆◆

 

彼に連れられて訪れた居酒屋は小さな穴蔵のような店だった。駅前で立地が良いせいか、サラリーマンでごった返している。

 

「まずは一杯」勧められるままに、大輔はグラスのビールをあおった。冷たい液体が喉を伝い落ちていく感触を楽しみながら、思わず一息つく。

 

「ぷはぁー。石黒君は何か知ってる? 岩本さんのこと」「岩本さんですか。そうですね……。以前に一度、一緒に飲みに行ったことがあって、その時に少し岩本さんのことを聞きました」石黒が言った。

 

「人の噂話は好きじゃないけど、社長とあの人が対立したらウチはもたないから、知ってる限りのことはお話しします。……以前、『えんじゅ』にいたことがあるらしいです、岩本さん」「へえ、いつ頃のことなの?」

 

「5年くらい前です。ケアマネジャー(以下、ケアマネ)の資格を取得して、最初の職場を探していた時に『えんじゅ』の募集を見かけて応募したらしいです。ケアマネとしての第一歩をオープニングスタッフとして踏み出せるのが魅力だったと聞きました。それに、最新の設備を使ったリハビリを提供するという先進性にも惹かれたそうです。ところがいざ働き始めると、あそこの経営はとにかくずさんで、ひどいものだったそうです。社長の口癖は『儲けなくちゃ意味ないよ』で、稼働率を上げるために、利用計画書を後から書き直したり、噂では外部のケアマネにリベートを渡して利用者を紹介させているという話もありました」

 

「バックマージンねぇ……」「このあたりでは有名で、実際ケアマネの中にはあそこに利用者を紹介したがる人も少なくありません」初めて聞く話に、大輔は驚いた。

 

ケアマネには本来、要介護者のニーズが満たされるよう、公正に判断し紹介する義務がある。リベートは送るのも受け取るのも違法だ。そういうことがあると聞いたことはあったが、まさか身近に存在するとは思わなかった。

 

「うちの利用者が何人も『えんじゅ』に行ってしまったのもそのせいなのかな?」「……たぶん、そうです」石黒がビールをあおった。趣味が海外旅行という彼はいわゆるバックパッカーだった。ここ数年は介護業界で料理を作っているが、あちこちの事業所を渡り歩いてきただけあって、業界を俯瞰する目線は大輔より広くて明晰だ。

 

「『えんじゅ』は社員に対する扱いもひどくて、サービス残業は当たり前、介護士の賃金は削られっぱなしというありさまだそうです。それで、嫌気がさした岩本さんが辞めたいと言うと、半年後には多額の賞与を出すと社長が約束したらしいんです」「それで?」

 

「……実は、岩本さんの息子さんは障害があるらしくて。確か、ダウン症だったかな……。それで、いろいろと将来的にはお金がかかるだろうって。頑張ってお金を貯めているあの人にとって、賞与は魅力的な話だったんでしょう。だから、『えんじゅ』に残ったんです。ところが、半年どころか1年経っても賞与なんてなかったそうです」

 

「ひどいな」「岩本さん、一時はもう福祉の世界から離れようと思ったそうです。そんな時、社長のお父さんにウチに来ないか?と声をかけられたって。それで岩本さんは『東雲』に移ってきたんだそうです」

 

「そうだったんだ。あの人のお金アレルギーはその辺から来てるんだね」「どうですかね。介護や福祉で働く人は、お金のことを言うと同じ反応をする人が多いんじゃないですか」そう言うと石黒は、グラスに入ったビールを飲みほした。

 

◆◆

 

翌日、大輔はいつもより1時間早く出勤し、始業の準備をしている岩本に声をかけた。

 

「おはようございます、岩本さん。うちでもリハビリメニューを強化しようと思うんですがどう思いますか?」「なんで急にそんなことを?」

 

大輔は内容をかいつまんで彼女に語った。「地域のナンバーワン事業所である『えんじゅ』がそれで成功しているんだから、うちもやれば人気が出るはずです」

 

「よく分からないけど、私は違う気がします」「岩本さんも前に、リハビリは利用者の家族に人気が高いって教えてくれたじゃないですか。それに、国も推奨していますよね」

 

「たしかにそのとおりです。家族は自分の父や母が以前のように元気になってくれたらと強く願うから、リハビリを頑張らせようとするんです。でも、本当にそれでいいかは疑問です」「通りすがりに時々見ますが『えんじゅ』では、みんな楽しそうに頑張っていました。リハビリを頑張る利用者はみんな元気でしたし、リハビリを強化すればそうしたニーズを拾えるのではないかと思うのですが……」

 

「……家族に迷惑をかけまいと一生懸命頑張ってる人も多いんです。でも、かなりたくさんの人が年齢には勝てないと思っていますし、しんどいことは嫌だと思ってます。少なくとも私なら、自分の親にあんなリハビリをさせようとは思いません」

 

大輔にはリハビリがそんなに人気がないとは信じられなかった。しかし、それならなぜ「えんじゅ」はあんなに人気を集められるのだろうか?

 

「『えんじゅ』がそれで成功しているのなら、それを真似れば成功できるんじゃないかな……」大輔が主張すると、岩本は怒り始めた。

 

「利用者のことを考えず、とにかく人をたくさん集めたいだけと言うのなら、『えんじゅ』と同じじゃないですか! そんなことをするために私はここにいるわけじゃありません」きっぱり言うと岩本は去っていった。

ストーリーで学ぶ 介護事業共感マーケティング

ストーリーで学ぶ 介護事業共感マーケティング

藤田 直

幻冬舎メディアコンサルティング

介護事業を始めれば、すぐに利用者が集まる時代は終わった――もはや「マーケティング」なしでは生き残れない。 廃業寸前の介護施設「復活ストーリー」から学べ! 高齢化が進む日本介護事業を始めれば、すぐに利用者が集…

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