父が創業した鉄工所を継いだものの、経営は徐々に悪化
自宅の売却は経営者にとって最後の手段です。本社社屋や工場などをすべて処分し、それでも大きな負債が残った場合には決断せざるを得ませんが、生活の拠点を失うことには大きな不安があります。特に高齢の経営者の場合には財産を失った状態で住む場所がなくなると、新たに賃貸住宅を借りるのも難しいという切実な問題が発生しかねません。
鉄工所を長く経営してきたBさんもそんな悩みを抱える経営者でした。創業社長の父親が経営していた時代には、製品に対する需要が多く大きな利益が出る事業でしたが、息子のBさんが事業を承継した数年後には時代が変わり始め、売上は徐々に低下していきました。
新たな設備を導入するなどの立て直しを図っても、一度傾き始めた事業の立て直しは新事業を始めるよりはるかに困難です。近年は安価な中国製品との価格競争もあり、経営不振は深刻化するばかりでした。
「事業を続けても巻き返せる見込みは小さい」と早くから判断していたBさんですが、取引先や従業員、家族のことなどを考えると廃業に踏み切ることができません。何とか継続させようと金融機関以外にも親戚などから借金を重ね、キャッシュフローが行き詰まったときには巨額の負債を抱えていました。
取引先や従業員、銀行などに迷惑をかけないよう、Bさんは鉄工所などの事業用資産を売却して返済に努めました。もちろん会社の借入については個人保証をしていたので、いずれは個人の財産も返済原資にあてなければなりません。残された個人財産のうち換金性が高いのは自宅だけです。
しかしながら売却を相談すれば家族、特に妻から強く反対されることがわかっていたため、Bさんは妻には告げず、買主を探し始めます。買主候補と会う際には近所の喫茶店を利用するなど、情報のコントロールにも努めました。
Bさんの自宅は「300坪」もの大邸宅だった
Bさんの自宅は事業がまだ盛況な時代に建てたものだったので、いわゆる「大邸宅」でした。300坪の敷地を擁壁で囲って盛り上げ、地下室や堀り込み車庫(半地下の車庫)なども設けてあったので、建築費用は一般の住宅に比べ、かなり高くついていたはずです。
しかし、残念なことに売却する際にはそういった「贅沢な作り」はほとんど評価されません。むしろ解体して更地にする費用がかさんでしまうためマイナス評価につながります。
豪華な邸宅の価値を評価して建物ごと購入してくれる買手がいればいいのですが、日本では「住まいを買うなら新築」という風潮が強いため、中古住宅の価値は非常に低く見積もられてしまいます。木造住宅の場合にはもともとの価値や築後のメンテナンスなどに関係なく、築20年で評価額が0円になるというのが不動産業界の慣例となっているほどです。
なにより、Bさん宅のような大邸宅を購入できるだけの資金を持つ人は「自分で建てたい」と考えるケースがほとんどで、大きな中古住宅は需要がありません。最終的には私が1億円で購入したのですが、すでにこのとき仮差押えが入り、金融機関の抵当権が設定されている物件だったため、一般の人ではまず購入しない、つまり値がつかない状況でした。
売却にはまず行政、金融機関との交渉が必要でした。特に別の金融機関に事業の運転資金の借入があり、この自宅の固定資産税も滞納している中での交渉は難航を極めました。最終的には既存の掘り込み車庫とオープンの車庫を活かしたまま3区画に割り、宅地造成することで、解体工事費用等のコストをカット、1億円で購入して何とかトントンくらいに持っていける算段をつけて、購入したのです。
自宅を売却したBさんはその代金で負債を完済し、残ったお金で買える中古マンションを都心部でいくつか見繕ってから妻に事情を説明しました。売却前に相談されていれば激しく反対したはずの妻も、次に住む家のあてがある状況下ではBさんの説明を受け入れやすかったのでしょう。
都心にある中古マンションを二人でいくつか見て回り、夫婦二人の所帯にちょうどいいコンパクトな物件を購入して引っ越すこととなりました。マンションは上下階がなくフラットなので、高齢化するとむしろ大きな邸宅より住み心地が良くなりますし掃除も楽です。
また、郊外に比べて都心部には徒歩圏に外食店などが多数あるので、夫婦で食事をしてお酒を飲むといった楽しみも増えます。借金苦に夜も眠れなかったBさんにとって、自宅の売却は人生の大きな転換点となりました。