日本人にとってアートは「一部の愛好家のもの」という認識が強くあります。一方世界、特に欧米では、絵画をはじめとするアート作品は実物資産として富裕層を中心に身近な存在です。またグローバル企業のなかにはアートで美意識を磨き仕事に活かすという流れがあり、富裕層のみならず、一般層にもアートの興味・関心は広がりつつあります。本連載では株式会社シンワオークションの高井彩氏が、アートを身近に感じることのできる展覧会をレビュー。その見所や、展示されているアートの市場価値などを紹介していきます。

「ビジネス×アート」が注目される理由

2018年度の「ビジネス書大賞」にて、山口周氏の『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?経営における「アート」と「サイエンス」』(光文社新書)が準大賞に選ばれました。今、書店のビジネスコーナーには、ビジネスにおけるアートの重要性をテーマにした本が並べられ、また、東京国立近代美術館やポーラ美術館でもビジネスシーンに役立つ美術鑑賞ワークショップが開催されるなど、ビジネスパーソンの間で、「ビジネス×アート」が注目を集めています。

 

海外の主要都市を拠点とするグローバル企業が、幹部候補の社員たちに自身の「美意識」を鍛えてもらうべく、積極的にアートを学ばせるという近年の動向が、日本でもじわじわと広がり始めているようです。

 

国際的なビジネスの場では、自身や相手の国の芸術文化に関する知識が必要不可欠ということは言うまでもなく、前掲の書籍では、なぜ世界のエリートたちが「美意識」を鍛えるのか? に対する回答として、

 

「これまでのような『分析』『論理』『理性』に軸足をおいた経営、いわば『サイエンス重視の意思決定』では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできない。(中略)そこでは全体を直覚的に捉える感性と、『真・善・美』が感じられる打ち手を内省的に創出する構想力や創造力が、求められる」

 

と、より良い意思決定を導き出す感性や創造力を養うために、アートが役に立つということが述べられています。

 

たとえば、コンテンポラリーアートの充実したコレクションを所有していることでも有名なUBSやマイクロソフトでは、社長室や応接室だけでなく、オフィス内の様々な場所に作品が丁寧に展示されています。二社では、文化支援や投資のためだけでなく、社員のクリエイティビティを刺激したり、時には彼らの気分をリフレッシュしたりすることを目的の一つとして、アートが収集されています。

 

また、Appleの創業者スティーブ・ジョブズが大学を半年で中退し、その後は興味のある授業だけ聴講し続けたことはよく知られていますが、それはプログラミングでも経営学でもなく、文字のアートとも言われるカリグラフィーや禅などの東洋思想だったといいます。それらが、Macが美しいタイポグラフィを内蔵するきっかけとなり、Appleの経営やデザインに通底する哲学として昇華されたと考えられます。

 

さて、ビジネスに役立つ「美意識」を鍛えるために、まずはアートを見に出かけましょう。そして、作品に接して感じたことを言葉にしてみてください。山口氏の著書でもこの「見て、感じて、言葉にする」という作業は推奨されていますが、それが観察力や洞察力を高め、本質を捉える力を養ってくれるものと筆者は考えます。また、ビジネスにおいて不可欠な、自身の生の感情を論理的に他者に伝えるという技術も身につくでしょう。

稀代のアートコレクター「松方幸次郎」とは?

それでは、今話題の美術展の中から、筆者おすすめの展覧会のレビューを紹介します。

 

「国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展」

●会場:国立西洋美術館(東京都)

●会期:2019年6月11日(火)~2019年9月23日(月・祝)

●詳細:展覧会公式サイト 

 

国立西洋美術館の開館60周年を記念し、そのコレクションの礎となった松方コレクションの全貌に迫る展覧会。松方コレクションを蒐集した松方幸次郎(1866-1950)は、明治期の内閣総理大臣・松方正義の三男として生まれ、川崎造船所(現・川崎重工業株式会社)の初代社長を務めました。優れた実業家であるとともに、近代のアートコレクターの先駆的存在としてもよく知られています。

 

これまで、そのコレクションの全貌は闇の中でしたが、昨年から今年にかけての『松方コレクション 西洋美術全作品』(総目録)の刊行と今回の展覧会の開催にいたるまでの調査研究でそれが明らかになりました。

 

会場で作品を見ていると、幕末生まれの薩摩人、松方幸次郎という人物のスケールの大きさに驚かされます。第一次世界大戦による船舶需要を見込み、あらかじめ大量生産した船をロンドンで売り、大成功を収めた松方は、その莫大な利益を事業のさらなる拡大と西洋の美術品の購入に充てました。

 

松方の美術品蒐集の目的は、日本の人々や若い芸術家のために、「ヨーロッパの油画の本物を集めて、ひとつわしが日本に送って見せてやろう」というもの。西洋絵画を通して西洋の文化や生活に触れることは、きっと日本の近代化の役に立つと考えたのでしょう。

 

そして、それらを公開する場として、まだ西洋美術の美術館のない日本に「共楽美術館」を建設する構想も立てられました。ロンドンやパリでは、現地のアート事情に通じた人物のアドバイスを受け、油彩、水彩、素描といった様々な技法、人物画、風景画、静物画、宗教画といった幅広いジャンルの作品を蒐集しており、松方がまさしく国家のためのコレクションを目指していたことがわかります。

 

松方が蒐集した作品は、西洋絵画、彫刻、版画、装飾芸術約3000点、フランス人から買い戻したという浮世絵約8000点からなる約11000点。これらのために松方が一体どれほどの私財を投じたのかは定かでなく、現在の貨幣価値に換算すると900億円超とも言われています。しかし、当時よりも高額で取引されている印象派の作品が多く含まれていますので、もし今同じようなコレクションを形成しようとすると、世界で1、2を争う大コレクションになるでしょう。

Christie’s New York『The Collection of Peggy and David Rockefeller:     19th and 20th Century Art,Evening sale』(2018/5/8)カタログより抜粋。 落札価格は、$84,687,500。
2018年にクリスティーズニューヨークに出品されたクロード・モネの「睡蓮」の連作の一つ。 Christie’s New York『The Collection of Peggy and David Rockefeller:
   19th and 20th Century Art,Evening sale』(2018/5/8)カタログより抜粋。
落札価格は、$84,687,500。

 

■展覧会の見どころ

今回の展覧会は、プロローグ、テーマに分けられた1~8章、エピローグという物語のような構成になっています。

 

プロローグとエピローグにコレクションの核となる重要作品を配置し、1~8章では購入年代順を基本的な流れとし、購入地や作品の特徴で分類して展示しています。どのような時期にどの画廊で作品を購入したのかがわかるレイアウトや、横一列ではなく二段や三段にして作品を壁に掛ける、ヨーロッパの美術館のような展示方法は、画廊を巡って作品を次々に購入していく、松方の足取りや視線を追体験できるような構成と言えるでしょう。また、この細やかに分類・整理された展示構成には、国立西洋美術館の長期にわたる調査研究の成果もうかがえます。

 

松方が蒐集したコレクション約11000点は、その後関東大震災や金融恐慌、第二次世界大戦という激動の時代の中で散逸、焼失、接収などの憂き目にあい、日本の人々のための「共楽美術館」建設はついに実現することはありませんでした。本展では、戦後国立西洋美術館に収蔵されたコレクションに加え、国内外に散逸してしまったコレクションの一部が里帰りし、再会を果たしています。

 

目玉作品の一つ、フィンセント・ファン・ゴッホ《アルルの寝室》(オルセー美術館蔵)、クロード・モネ《積みわら》(大原美術館蔵)など、「本来なら共楽美術館に展示されていたはずの名作たち」に囲まれ、松方の夢に思いを馳せるのもまた本展の楽しみの一つです。

 

そして、エピローグに展示された、クロード・モネ《睡蓮、柳の反映》(国立西洋美術館蔵)は、2016年にキャンバスの上半分を欠損した状態でルーヴル美術館で発見され、世界的なニュースとなった作品です。本展では残された下半分が修復され、初公開されています。流転と長い行方不明の期間を経て、ワニス(画面保護のための透明塗料)の塗られていない、モネ独特の絵肌の質感や躍動的な筆の動きがよみがえった点が非常に感動的で、修復チームの尽力が偲ばれます。

 

また、会場では、AIを使い、デジタル推定復元された作品の全体像も見ることができ、欠損していない完全な姿であれば、オランジュリー美術館(パリ)や地中美術館(直島)の所蔵する「睡蓮」の連作に匹敵するすばらしい大作だったことが想像できます。

 

皆さんも美術館に出かけ、見たもの、感じたことをぜひ言葉にしてみてください。その蓄積が、ビジネスの様々な場面において、新たな視点や切り口の発見につながるかもしれません。

 

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