日の出ふ頭に残された「1匹のラット」
JR浜松町駅から徒歩10分ほど。東京都港区日の出ふ頭の船着場。東京湾を眺望することができる、レストランシップ・シンフォニー号乗り場(2号船客待合所)の片隅。ここには、ちょうど1年前にメディアで取り上げられた、1匹のラットの落書きが展示されています。
ラットは高さ30cmほど。黒一色のシルエットで、右手には開いたこうもり傘、左手にはトランクを持っています(雨風によってトランクの取っ手部分が消えてしまっている)。頭にはぴょこんとアンテナのような線が一本。型紙の上からスプレーで塗りつぶして影を残す、ステンシルという技法で手早く描かれたものです。
今回は著名なコレクションや展覧会ではなく、路上に描かれた落書きのラットと、その作者とされているストリートアーティストBanksy(バンクシー)についてご紹介します。
ラットが描かれた金属板の上部には「通」の文字。この金属板はもともと港区海岸2丁目、ゆりかもめ線・日の出駅近辺にある手動の防潮扉の一部分でした(「通」は「通行止」の頭文字)。大きな騒ぎとなったきっかけは2019年1月17日、目にした方も多いであろう小池百合子都知事のtwitterアカウントです。青と黒の市松模様のコートを着た都知事が防潮扉の横にかがみ、ラットを指差している様子が「あのバンクシーの作品かもしれないカワイイねずみの絵が都内にありました!」のコメントと共にアップされ、追って各メディアも都が調査に乗り出したことを含めて取り上げました。
このニュースはBanksyをよく知るストリートアートファン、美術愛好家の心を踊らせましたが、すでに前日16日中に東京都は金属板を現地から回収済み。彼らがBanksyのグラフィティを描かれたままの場所で見ることは叶いませんでした。その後市民からの要望を受けて東京都庁舎で一般公開が行われた後、11月25日から日の出2号船客待合所にて公開、現在に至ります。
騒動の際、世間の最大の関心となったのはその真贋。現在本作は主に下記のような根拠から真作である可能性が高いとされています。
・Banksyの公式Webサイトには、彼がこれまで手がけたと考えられるグラフィティが公開されているが、その中に日の出のラットと同一と思われるグラフィティが左右を反転した状態で掲載されていること。
・Banksyが編集に関わった作品集『Wall and Piece』に本作と同一と思われるグラフィティが左右を反転した状態で掲載され、キャプションに「東京2003」と付け加えられていること。
子供の頃に突然現れた河川敷の鮮やかな落書きが、大人になった今では色褪せ景色の一部となっているように、そこにあることを許され、街の日常に馴染んだグラフィティの寿命がとても長いことを私たちは体感として知っています。2003年に人気のない海っぺりに描かれ、2019年にBanksyの作であると世間に騒がれるようになるまで約16年間。ラットは時たま道ゆく人の目に留まり、設備を管理する職員に見逃されながら生き残ってきました。
展示に添えられたキャプションや東京都のWebサイトでは、本作のことを『バンクシー作品らしきネズミの絵』と表現し、Banksyの作であることを認めていないかのような表記をしています。これは東京都がその真贋を決めかねているのではなく、その立場上仕方がないことです。というのも、防潮扉は公共物であり、無断で落書きをすることは器物破損行為にあたります。そのためBanksyの作だと断言すると、彼は落書きの犯人として刑罰の対象となってしまいます。彼の作であることはほぼ間違いなさそうですが、その行為がイリーガルであるが故に、東京都もそうだとは言わないというわけです。
しかし、東京の街に描かれたストリートアートはゴマンとあります。高架下のコンクリート、家の壁、シャッター……なぜこのラットはおそらくBanksyの作であるとわかった途端に大騒ぎになり、さらに行政からもお目こぼしを受けているのでしょうか。それは彼の活動の経歴とキャラクター、その市場価格が理由です。
「ストリートアーティスト」としてのBanksy
Banksyはイギリスを拠点として活動し、社会や紛争を批判・風刺したグラフィティを世界各地の路上に残しています。生まれは港町ブリストル。1980~90年代にかけてヒップホップ文化を背景として、かねてより盛んだったストリートカルチャーとニューヨークから持ち込まれたスプレーペインティングとが融合、町全体がグラフィティで包まれた中でBanksyは育まれました。
ストリートアートとは、紙やキャンバスではなく、塀や外壁・道路など、誰でもが見ることのできる公共の場所に、主にスプレーを用いて描かれる飾り文字・絵のことです。いわば落書き・いたずら書きであり、施設の所有者に無断で行われる行為は、社会問題という側面も持っています。
日の出にも描かれた小さなラットは、彼が2000年頃から使用しているモチーフで、フランスのストリートアートの巨匠、ブレック・ル・ラットに影響を受けたと言われています。
都市の片隅に無断で、違法に落書きされる大量のラットたち(※1)。Banksyのラットはおどけた可愛らしい動作で描かれますが、その実はダニ、ノミ、寄生虫や病原菌を身体にまとわりつけ、人々に歓迎されないまま都市を走り回るドブネズミです。彼のグラフィックにおいて、ラットは社会で健全に生きている者の括りから外れてしまった人々を表すアイコンとして多用されています。
(※1)たとえば壁にピンク色のペンキで「Because I’m worthless 私にはその価値がないから」と落書きしているラットのグラフィック(2004年 ロンドン)。これは当時、イギリスで行われた広告キャンペーンにおいて繰り返され、街中に蔓延した「Because I’m worth it 私にはその価値がある」のキャッチフレーズの退屈さを皮肉ったもの。他にもエプロンをつけて永遠に路上を掃除していたり、メッセージを書いたプラカードを掲げたり、背中に羽を付けて小さな段差を飛ぼうとしていたり。ラットが起こす行動はいずれも何かへの批判を仄めかしてしています。
また「あべこべ」も好んで用いられる表現方法です。彼はイスラエル・パレスチナ問題に関心を持ち、何度か現地に赴いてグラフィティを残しています。危険を冒して残した《Flower Thrower 花を投げる人》(2003年 ベツレヘム)は、石を投げようと振りかぶる、暴徒と化した男性のイメージを下敷きに、男性が握っている石をカラフルな野花の花束に置き換えたもの。デモ等でよく見られる攻撃的な図像において、武骨な石を柔らかく優しい花に差し替えることで、「何かがおかしい」ということをわかりやすく主張しています。
日の出のラットは何を意味しているのか、言ってしまうと本当のところはわかりません。
こうもり傘とトランクを持ったラットが他にもいないかを振り返ると、2008年にNYに描かれた《Let Them Eat Crack》に当たります。2007年の経済危機を受けて生活に苦しむアメリカの一般市民を、銀行家に扮したラットが一蹴しているというグラフィティです。ラットはネクタイを締め、胸にはネームプレート、こうもり傘を持ち、トランクからは紙幣がこぼれています。ラットと共に書き添えられた「Let Them Eat Crack」はマリー・アントワネットでお馴染みの「パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない」が下敷きであり、不動産が値崩れ、または処分され経済的に困窮したアメリカ市民に向かって、銀行家ラットが「クラック(亀裂・安価な麻薬)を食べればいいじゃない」と他人事のように言い放っているとされています。
また、2004年の作である《Rat with Umbrella 傘を持ったラット》では、キャンバスにスプレーで同様の図柄が描かれており、傘とトランクを持ち、首元にネクタイ、袖にはカフス、上品な丸帽子といかにも裕福な身なりをしています。傘やトランクに「ビジネス」や「裕福さ」の意味合いがあるとすれば、日本がしばしば対外に持たれる労働大国のイメージを皮肉られたのでしょうか。そう言われると四角いカバンはトランクではなく、見慣れたビジネスバッグのようにも見えてきます。それとも東京が抱える貧富について触れたのでしょうか。 いやいや、純粋に遠いアジアの土地にやってきた記念に、旅行カバンを持ったラットを残したのかもしれません。ちなみに頭にアンテナが生えたかのように見えるラットは他にもいて、その時は工具を持ち、道を舗装していました。ヒントが少ないために彼の本懐は不明ですが、日本にも「ラット」はいるのだぞ、とマークされたのは間違いないようです。
誰も知らない「Banksyの正体」
さて、言い遅れましたが、彼がどこの誰でどんな顔をしているのか、それは明らかになっていません。Banksyはストリートアーティストの礼儀に則りその正体を明かさない覆面アーティストです。彼の正体についてはいくつかの説がありますが、それが突き止められることや明かされることはストリートアートの世界でもアートシーンでも望まれていません。
ストリートアーティストがその身分を明かさない大きな理由は、見つかれば逮捕されてしまうからです。彼らの活動には建物や施設のオーナーに許可を取った上で行われるリーガルなものもありますが、基本的には許可のないイリーガルなものです。Banksyの行為もほとんどの場合は後者で、警察や管理者に見つからないように、監視カメラを避けて、忍び込んで、よじ登って、無理な体勢で、時にズボンがずり落ちそうになりながらグラフィティを残しています。
彼は違法行為であると分かった上で、メトロポリタン美術館やMoMA(ニューヨーク近代美術館)、ヨルダン川西岸の「パレスチナ人の自爆テロを防止する」ための分離壁など、シンボリックな場所に批判的なメッセージを残します。その内容が人々の賛同を得ることで彼のスタイルへの理解が進み、活動が世界的に評価されるようになってきた、というのが現在のBanksyの立ち位置です。
路上に描かれた彼のグラフィティは、建物の管理者に消されたり、他のペインターによって塗りつぶされてしまうことも多く、さらに剥がされてネットオークションに出品されたり、脆い壁と一緒に崩れ落ちてしまうなど失われやすい状態にあります。日の出のラットは彼の日本での足跡が残ったラッキーな例であり、東京都も消したり失われてしまうには付加価値が大きいと、ラットの作者について追求を止め、保護したのだと思われます。今後Banksyの立ち位置が変わった際にはまた撤去されてしまうことも想定されますので、東京観光の際には、東京湾訪問のついでに足を運んでいただくとよいかと思います。
アートマーケットにおける「Banksyの価値」
Banksyはアートマーケットを支配する資本主義や、作品に付けられる2次的で高額な価格に対して度々批判的な行動・言及をしてきた人物です。
2018年、Sotheby’s(サザビーズ)セールにて《Girl with Balloon 少女と風船》(2006年)(※2)がエスティメイト 200,000~300,000ポンドで出品され、1,042,000 ポンド(1億5千万円)で落札されました。ところがオークショニアが落札のハンマーを打った瞬間、額の中に仕込まれていたシュレッダーが作動し、作品は額の下辺に巻き込まれながら千切りにされてしまいます。後日バンクシーはシュレッダーは彼が過去に取り付けたものであり、作品が競売に掛けられた際には作動させて作品が失われるよう計画していたとコメント。さらに破壊された作品に対して《Love is in the Bin 愛はごみ箱の中に》という新たなタイトルまで発表しました。
(※2)キャンバスにスプレーペイントとアクリルで描かれている。2002年にロンドン・サウズバンクの路上で初登場したBanksyの人気図柄で、飛ばされていく赤いハート型の風船に向かってワンピース姿の少女が険しい表情で腕を伸ばしている様子が描かれている。作家本人によるテロ行為が加えられたことによって、皮肉にもその価値はあがったとアートマーケットは受け止め、落札者もキャンセルは行わずに作品をそのまま購入した。Sotheby’s側は「バンクシーに一杯食わされたようだ」とのコメントを出したが、オークションでは競売にかける作品、特に高額品は額も合わせて入念なコンディションチェックを行うため、普段から絵画の取り扱いに慣れているだろう担当者は、その仕組みに気づいていながら、そのままオークションに出したのではないか、という疑問が無いこともない。
またBanksyは2019年にオンラインショップ「Gross Domestic Product™」を開店。コレクター垂涎の作品群を人々の手に届きやすい安価な値段で販売しました。抽選販売を採用し、経済力による競争は排除。加えてサイトには「Please refrain from registering at this time if you are a wealthy art collector 裕福なアートコレクターの方は今回の購入をご遠慮ください。」という文言が添えられました。
Banksyが本格的にアートマーケットで流通し始めたのは2007年頃。以降、ペインティングから彼の図案を用いた印刷のポスターまで様々なアイテムがオークションに出品されています。先ほども登場した《Girl with Balloon 少女と風船》の版画作品(600エディション)は2019年12月にBonhams(ボナムス)のロンドン・ナイツブリッジで行われたセールにエスティメイト50,000~70,000 ポンドで出品、87,562 ポンド(1,250万円)で落札されました。また、ラットが赤いハートを描いている版画作品《Love Rat 愛のラット》(150エディション)が今年1月23日のPhillips(フィリップス)ロンドンセールにエスティメイト20,000~30,000 ポンド で出品、56,250ポンド(約800万円)で落札されました。
ペインティングとしては、木材(複数の細長い板をつなぎ合わせてパレット状にしたもの)にスプレーで「Laugh now, but one day we’ll be in charge 今は笑っているが、いつか俺たちの番が来るぞ」と書かれたプレートを首から下げたチンパンジーが描かれている《LAUGH NOW ON PALETTE》(2005年120×49㎝)が2019年11月のSotheby'sロンドンセールにエスティメイト350,000~450,000ドルで出品され764,000ドル(約8,300万円)で落札。
英国議会の議事堂に、議員の代わりにサルが着席している大型作品《DEVOLVED PARLIAMENT 退化した議会》(2009年250×420㎝)は2019年10月のSotheby'sロンドンセールにエスティメイト1,500,000~2,000,000ポンド で出品され、Banksyのオークションレコードである9,879,500ポンド(約13億円)を記録しました。
Banksyの市場価格は変動の真っ最中で、一概に幾らだと言ってしまうのは危険な状況にあります。上記にご紹介したのは作品そのものに彼の手が入っているアイテムで、ポスターなどの製品は2桁台で取引されています。いずれもBanksyが売り出した際の「誰にでも手が届く価格で」の意に反して高値となっている状態で、彼は市場を冷めた目で見ているものの、罪のないコレクターが高値で偽物を掴まされることを良しとはしておらず「Pest Control」という機関を設立、アイテムの鑑定業務を始めています(路上に残されたグラフィティはBanksyの作であると言うことはできないため鑑定の対象外)。
2020年は「Banksyの年」になる
随分と長くなってしまいましたが、最後に今年日本で開催される彼の大規模な展覧会についてご紹介します。まずは3月15日(日)から9月27日(日)に横浜・アソビルで開催される「バンクシー展 天才か反逆者か」。モスクワ、サンクトペテルブルク、マドリード、リスボン、香港と、世界の5都市を巡った展覧会が日本にも巡回します。
また、東京都品川区・寺田倉庫G1ビルでは「BANKSY展(仮称)」が開催。会期は8月29日(土)から12月6日(日)までです。いずれもまとまった数の作品が展示される見込みで、日本でもBanksyやストリートアートをどのように理解するかの議論が高まることを期待します。