日本人にとってアートは「一部の愛好家のもの」という認識が強くあります。一方世界、特に欧米では、絵画をはじめとするアート作品は実物資産として富裕層を中心に身近な存在です。またグローバル企業のなかにはアートで美意識を磨き仕事に活かすという流れがあり、富裕層のみならず、一般層にもアートの興味・関心は広がりつつあります。本連載ではShinwa Auction株式会社の高井彩氏が、アートを身近に感じることのできる展覧会をレビュー。その見所や、展示されているアートの市場価値などを紹介していきます。今回取り上げるのは、奇才で知られるピエロ・マンゾーニ

「描く、そして現れるー画家が彫刻を作るとき」展

これまでにない、これまでとは異なる新しいものを。

 

従来の方法や伝統にとらわれず、新しいものの見方を探求していく姿勢はどんな業種においても求められますが、美術の世界においてその思いは特に強くアーティストたちの心に宿っています。今回は千葉県佐倉市・JR佐倉駅から美術館送迎バスで約15分、DIC川村記念美術館にて開催中の「描く、そして現れるー画家が彫刻を作るとき」展を紹介します。

 

DIC川村記念美術館(著者撮影)
DIC川村記念美術館(著者撮影)

 

「描く、そして現れるー画家が彫刻を作るとき」

●開催期間:2019年9月14日(土) 〜 2019年12月8日(日)

●開催場所:DIC川村記念美術館

 

DIC川村記念美術館は、印刷インキ・有機顔料・PPSコンパウンドを主力とする化学メーカー、DIC株式会社(旧:大日本インキ化学工業)が、その関連会社とともに収集したコレクションを公開する企業ミュージアムです。2代目社長川村勝巳氏が構想し、同社の総合研究所が佐倉市に設置される過程で具体化、1990年に開館しました。

 

コレクションはマーク・ロスコやフランク・ステラなど戦後アメリカ絵画を中心としており、作品に合わせて建築が工夫されているため、美術品を非常に良いコンディションで鑑賞することができます。同時にルノワールやシャガールといったヨーロッパ絵画の良品を所蔵。日本国内でレンブラントに出会うことができる数少ない美術館です。

 

本展覧会では、「“これまでと違う新しい絵”のために、画家は彫刻を必要としたのではないだろうか」というテーマを掲げて、パブロ・ピカソ、マルセル・デュシャン、ジョアン・ミロ、ジャスパー・ジョーンズ、山口勝弘、榎倉康二など24作家を紹介しています。

「これまでと違う新しい絵」に挑む画家たち

「これまでと違う新しい絵」とはどういうことなのでしょうか?

 

美術史において、従来良しとされてきた技法や表現は、前時代の象徴としてしばしば見直し、破壊、再構築されてきました。見直す方法は時代によってそれぞれ。エドゥアール・マネは1800年代に、描くモチーフを見直すことで一石を投じます。当時のフランスでは神話や物語を主題とした歴史画が重視されており、女性の裸体が描かれる際は、それらの登場人物として描かなければならないという暗黙のルールがありました。

 

しかしマネは《草上の昼食》(1863年)において、その神話・文学的口実を破棄、実際にパリに生きる女性の裸体を描き、歴史画とは異なる道を画家たちに示しました。

 

また、コローなどバルビソン派は制作を行う場所に注目。それまで画家は主に屋内で制作を行い、光や自然は伝統的な様式に沿って描かれていました。しかし彼らはキャンバスを屋外に持ち出し、陽光のもとで自然観察と制作を行い、現実に即した作品を発表しました。結果、画家たちは形式化された風景ではなく、ありのままの自然が描き出された絵画に価値を見出すようになります。

 

そして本展覧会で取り上げられた1900年代、画家たちは新しい絵を作るために彫刻を熱心に利用するようになります。

 

ピカソは1つのものを360度あらゆる方向から観察、得られた複数のイメージを1枚の絵に合成しました。彼の興味は描かれた絵が視覚的に正しいかどうかではなく、目の前のものが人間の頭の中でどのように捉えられているかでした。ピカソは針金や陶器で自身が描いた形を立体化し、再度空間の中に置くことでさらなる発見を得ようとします。

 

草間彌生は巨大なキャンバス一面に細密な網目を描き、それらを「Infinity Net(無限の網)」と呼びました。彼女が幅10m以上のキャンバスに無限の網を増殖させ、その面積が壁面を越えようとしたとき、無限・増殖の念は壁面から空間に飛び出してきます。

 

草間はおびただしい量の布製の突起物を作成し、椅子や靴、スカートや乳母車、脚立にソファ…身の回りにある何でもに隙間なく取り付けました。絵画で取り組んでいたテーマをそのまま彫刻にも用いて、自身が描いた世界観を強調することに成功した例です。本展では他にも描画したキャンバスを縫い合わせ、中に詰め物をしてハンバーガーやタイヤの形に成形したクレス・オルデンバーグなど画家たちが平面と立体を行ったり来たりする様子を見ることができます。

ピエロ・マンゾーニと1本の線

ここで出品作品より筆者が気になった1点をご紹介。

 

1959年にイタリアの美術作家、ピエロ・マンゾーニが制作した『5.1メートルの線, Line 5.1m』です。

 

本作は展覧会の第2章において、「絵画を疑い、それまで『絵』だとされてきたものを解体しようとする画家」の一連として紹介されています。

 

賞状を入れる蓋付きの丸筒と同じ形の、黒い紙筒がひとつ。筒には褐色の紙製ラベルが貼りつけられ、次のように印字されています。

 

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CONTIENT UNE LINE LIGNE LONGUE MT 5.10

EXEUTEE PAR PIERO MANZONI LE 12/59

IT CONTAINS A LINE 5.10 METERS LONG

MADE BY PIERO MANZONI THE 12/59

 

(5.1メートルの線入り ピエロ・マンゾーニが1959年12月に制作)

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真っ黒な筒は封じられていて、空けて中身を見ることはできません。作家にとってこの中に「人間が実際に引いた5.1メートルの線が存在している」という事実が重要です。

 

マンゾーニは 1933年イタリアに生まれ、第2次世界大戦を経験し1963年に30歳の若さで没します。彼が活動した当時のイタリアでは、キャンバスに絵具で描画をするという従来の絵画に重きを置かず、素材選びにまで回帰をして、木材や金属板といった日常的で手に入り易い素材を用いて、キャンバスを超えた絵画を作ろうとする試みが行われていました。鮮やかな単色で均等に塗られたキャンバスに鋭い刃物で切り込み、真っ黒な風穴を開けたルーチョ・フォンタナも同時代の作家です。

 

さて、『5.1メートルの線, Line 5.1m』の気になる中身ですが(開けてはいけないのですが!)、中には長方形の紙が巻いて収められており、黒く太い線が一本、紙の端から端までぴったりと引かれています。長さはラベルの通り5.1メートル。中身はそれだけです。

 

彼は「線」を空間にとらわれない無限なものとし、面積が限定されたキャンバスには収まらないものであると強調します。線が紙の端から端まで引かれたのは、一本の線に始まりと終わりがないことを示すためでした。

 

このような「線」にまつわる概念だけを純粋に抽出するために、どんな手段を使えば良いかを考えた結果、マンゾーニはキャンバスに描画して壁にかけるのではなく、紙を容器に収めて「見えない長さ」を展示し、観客それぞれに中身を思い描かせるという表現方法を思いついたのです。

 

マンゾーニは「線」を繰り返し制作。時に私的なアトリエで、時に公の場で線を引き、その後筒などに封印しました。1960年にはデンマークの新聞社の印刷工場で、インディア・インクの瓶の先を新聞用の幅1mほどの巨大なロール紙に押し付けることによって『7,200メートルの線』を引くことに成功。彼はロール紙をそのまま大きな亜鉛の容器に収め、同様のラベルを付けて地元のシャツ工場の前の公園に展示しました。

 

マンゾーニが作った、あることものに注目して作られた造形物を通して、観客自身にことものを哲学させる仕組みを持った作品は同時代の作家から大きな支持を得て、「コンセプチュアル・アート」や「パフォーマンス・アート」、「オブジェ」といった芸術運動が評価される材料となります。

 

これらの芸術運動に属する作品は一見しただけではその意図は分からず、作家が残したテキストなど周辺情報をヒントとして、書物のように読み説いていくことがその楽しみ方です。

 

ピエロ・マンゾーニは作品それ自体の面白さと、美術史におけるターニングポイントとなった作家であるという理由でアートオークションでも人気の作家です。ただし早世のため作品数が少なく、加えて西洋美術史を語るにおいて欠かせない作家であるが故に美術館に収蔵された作品も多く、結果として流通量が少ないという特徴があります。

 

2018年12月、マンゾーニの地元、イタリア・ミラノのオークションハウスIl Ponte Casa d'Astezに出品された『4.63メートルの線』はエスティメイト80,000~100,000ユーロで出品され110,000ユーロ(約1,397万円)で落札、2017年6月には同オークションハウスで『10.99メートルの線』がエスティメイト25,000~35,000ユーロで出品され106,250ユーロ(約1,300万円)で落札されました。

 

横山大観の作品をヨーロッパのオークションで見つけることが難しいように、一国の美術品市場を追うだけでは手に入れられない作品は数多く、コレクター達は信頼できるギャラリーやオークションハウスを頼りながら積極的に情報収集を行っています。個人で海外のオークション情報を手に入れるならば、オークション情報の総合サイトを利用する手もあります。代表的なサービスとしては「artnet」が挙げられ、世界中のオークションハウスが近日のセール情報を登録、課金制ではありますが、作家や制作年代などかなり細かく条件を絞って横断検索をかけることができます。

 

本展鑑賞の所要時間目安は1時間半~2時間ほど。ただし常設展にかなりの見ごたえがあるため、余計に最低1時間は取っておくとよいです。最寄り駅から美術館行きのバスは本数が限られているため、前もってのご確認をおすすめします。

 

 

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