ストリートアーティスト「Invader(インベーダー)」
東京・渋谷駅付近、タワーレコード脇の高架に、正方形のセラミックタイルを組み合わせてかかれた鉄腕アトムが残されています。作者は、フランス出身のストリートアーティスト「Invader(インベーダー)」。このアトムは、2014年以来この往来に残されています。
そもそも「ストリートアート」とはどのようなものなのでしょうか。
ストリートアートは公共空間にかかれ、不特定多数の通行人に向けて、何かしらのメッセージを発しているものです。スプレーに限らずあらゆる塗料や材料を使用してかかれ、絵が主体であることが多いですが、文字を含むこともあります。ポスターを貼ったりステンシルを使用したり、現在では彫刻など立体的なものも登場しています。
通行人に見られることを想定しているため、かかれているモチーフやメッセージがわかりやすい傾向にあり、なかには人々に問題提起(政治や差別といった社会問題などについて)をするものもあります。
有名なストリートアーティストとし、イギリスを拠点に活動を行う「バンクシー」が挙げられます(参照:『匿名の芸術家「バンクシー」…落書きがアートと評価されるワケ』)。
また、ストリートアートについて知る際には、「グラフィティ(ライティング)」についても知っておくとよいでしょう。公共空間にかかれたもので、文字が主体のものは「グラフィティ(ライティング)」であることが多いです。
このグラフィティ(ライティング)は、1960年代後半にNYで誕生した文化です。第二次世界大戦後、NYでは貧富の差が拡大しました。そのうち貧困地域では、現代同様、人々が不条理や不平等にさらされながら暮らしていました。
ある日、彼らのなかに、目の前の壁に自分の名前を落書きした者がいました。
一説ではジュリオという少年が「JULIO204」と残したことが最初とされています。それを真似して、他の者たちもスプレーやマーカーで自身の名前やニックネームをかき始めます。
街に描かれた名前は「ヒット(現在はタグ)」と呼ばれ、彼らはフリーハンドで文字の形や色を工夫して、より洗練されたものをかくことを目指しました。抱えている事情や感情は様々でしたが、名前をかくことで公共空間に存在を残すことができるという感覚は、グラフィティが同地域に暮らす人々の共感を得た大きな要因でした。
そして1971年に、“The New York Times”が、ライターの「Taki183」のインタビューを掲載。その影響は大きく、NYで爆発的にライターが増えていきます。そして、1980年代、90年代にかけて、グラフィティ文化はアメリカから海を渡ってヨーロッパ、アフリカ、アジア……と全世界に広がりました。
グラフィティ(ライティング)は、公共空間へのタギング(タグを残すこと)が目的です。ライターは、街の広範囲に数多くタグをかいたり、高いビルの壁や線路脇など、公共の場所のなかでも、かくことが困難な場所にわざとタグを残すこともあります。
街を歩いていて、高架下の「デザインされた文字」、もしくは立ち入り禁止であろう線路脇に「繰り返しかかれた謎のマーク」に出会ったら、それは「グラフィティ(ライティング)」である可能性が高いです。そこには、ライターの名前がかかれています。
ストリートアートとグラフィティ(ライティング)の関係を簡潔に述べると、1960~1970年代のNYにてグラフィティが先に生まれ、普及するとともに、タグ(名前)以外のモチーフを技法にとらわれずにかいた作品が増え、それらはストリートアートと呼び分けられている、となります。
両者とも公共空間に、施設の所有者の許可なしでかかれます。そのため、日本においてその行為は個人の住宅や商店のシャッターに悪意を持ってかかれる落書きと変わりない違法行為であり、もちろん刑罰の対象となります(なかには所有者の許可を取って、もしくは注文を受けてかかれたものもあります)。
ただし、バンクシーの故郷である英国のブリストルやNYの一角など、ストリートアートやグラフィティ(ライティング)がその地域の文化として住民に認められた場合や、主張している内容が人々の支持を大きく集めた場合などには、所有者の判断によって、消されずその場所に残ることを許されるケースがあります。
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