香港では「逃亡犯条例」の改正案に反対する大規模な抗議デモが起こり、12日、デモ隊と警察が衝突。ゴム弾や催涙弾なども使用され、負傷者や逮捕者が出ている。現地より、Nippon Wealth Limited, a Restricted Licence BankのCIO長谷川建一氏が、その背景と現在の様子、今後の経済への影響を解説する。

身柄を拘束されれば、中国本土に引き渡される可能性?

6月9日、香港では、香港政府が立法府に提案した「逃亡犯条例」の改正案に反対する大規模な抗議デモが起こった。主催者の発表は103万人、政府の発表では24万人と大きく食い違っているが、大きな参加人数の違いは、抗議デモの受け止め方の違いを反映している。

 

デモの参加者が2カ月以上もの間、香港中心部の幹線道路を封鎖した2014年の「雨傘運動」も記憶に新しいが、今回の抗議デモは、2003年に立法会に提案され最終的には撤回された「国家安全条例」案に反対しての抗議デモ以来、最大の規模だったと推定される。

 

今回の抗議デモは、12日も香港島側にある香港立法会(議会にあたる立法機関)がある金鐘(アドミラルティ)付近で大規模に行われ、立法会は休会を余儀なくされた。この条例案は、犯罪容疑者を香港から中国本土へ引き渡すことを可能にするもので、多くの香港人はもちろん、多くの企業や外国政府からも、懸念や疑問が表明されている。

 

念のために香港の13日の状況を述べると、立法会周辺の金鐘(アドミラルティ)地区では、警戒態勢が引かれ、商店や金融機関の営業を停止しているところも出ているものの、金鐘地区周辺以外では、通常の営業・生活が継続している。銀行も通常営業しており、証券市場も通常通り取引が行われている。交通機関の運行状況も平常どおりである。

 

話を本題に戻そう。犯罪者の他国への引渡しについては、香港は、米国など20カ国と犯罪者を引渡す協定を締結している。しかし、中国本土やマカオ、台湾との間には、同協定を締結していない。ちなみに、中国は、55カ国との間で犯罪者引渡し条約を結んでいる。

 

その香港で、昨年、こんなことが起こった。香港人の男性が、台湾で恋人を殺害し、逮捕される前に台湾を抜け出し香港に戻ってしまったのである。香港政府は、台湾との犯罪者引渡しに関する協定がないことから、この男を台湾に身柄を移送し引き渡すことができなかった。林鄭月娥(キャリー・ラム)香港行政長官は、こうした「法の抜け穴をふさぐため」に必要な措置として、今回の「逃亡犯条例」案を提案したと説明している。

 

しかし、この「逃亡犯条例」案は、犯罪容疑者を香港から中国本土に引渡すことを可能にするという一面も持つ。香港に住み働く人ももちろんだが、旅行者や出張者、トランジットのため空港に降り立っただけの人も含め、香港で身柄を拘束されれば、「犯罪容疑」を理由に、中国本土に引き渡される可能性を否定できない。

 

「雨傘運動」の時の、抗議行動は、「普通選挙」の実施を求めるという香港人の政治的権利を訴えたものだったが、今回の条例改正案への反対運動は、香港に住む者だけの問題を超えて、香港で仕事をする者、活動する者すべてに関わり、しかも人権そのものに関わる問題である。

 

 

普通選挙権や独立などの問題では抗議デモに参加することに消極的だった中間所得層でも、今回はデモに参加しているのは、それだけ影響が大きいということなのだろう。加えて、中国本土の司法制度は、行政や政治から独立しておらず、司法プロセスそのものにも信頼感が低いことも懸念を大きくする。

 

「逃亡犯条例」案を提案した段階では、林鄭行政長官は、これほどの世論の反発があることを読めていなかったのではないだろうか。9日の大規模デモが大きな衝突なく終わった時にも、同長官は条例案の可決を急がせようとした。立法会の親中国勢力の中にすら、疑問の声が上がる中で、なぜ、これほど前のめりにこの法案を成立させようとするのか、理解に苦しむ。それが、12日にも抗議デモが発生し、衝突につながってしまった部分もあるのではないだろうか。

 

また、行政長官の支持を表明している中国政府ではあるが、外国メディアの報道に過剰で偏った報道だとの、反駁はするものの、採決を強行しろというほど、この条例案に執心しているようには見えない。「第二の天安門」というフレーズは中国政府の嫌がるところでもあり、非武装の抗議デモを力でねじ伏せることと引き換えにはしないだろう。しかも、苦心してつくりあげてきた「一国二制度」と共産主義経済と自由主義経済の間で微妙なバランスを取りながら成功を収めてきた香港の発展を阻害することの打撃は大きいことは、中国も良く理解している。今回の対応を誤れば、2003年のように、現職行政長官の首と引き換えに、幕引きを図るというシナリオが浮上するかもしれない。

中国の一都市と見做されると「香港」は機能できない

今回の問題は、また、香港経済にも大きく影響する可能性がある。香港は世界でもトップクラスの自由貿易港であり、すべての品目が関税がかかることなく輸入できる*。1992年に成立した米国の法律で「香港政策法」をご存知だろうか? これは、香港を中国本土とは異なる地域として定義するもので、これにより、香港は米国の自由貿易の相手先として、貿易及び輸出規制に関する事項、関税やビザなどで中国とは別扱いされるという恩恵を受けている。同法は、米国の香港に対する基本法であり、香港は現時点でも、いわゆるトランプ関税の適用外である。

 

*ただし、酒、たばこ、炭化水素油、メチルアルコールには、物品税が課税される。

 

米議会の超党派諮問機関である米中経済安全保障再考委員会(USCC)が5月に発表した報告書では、「逃亡犯条例」の改正案がこのまま成立した場合には、香港の自治が損なわれ、中国の一都市に過ぎないと見做して、香港に認めている恩恵待遇の打ち切りや安全保障上重要と考えられるテクノロジー関連製品の取引を締め付けるなど、香港政策法を撤廃する方向に動くことが提言された。実際に、9日の抗議デモの後、ナンシー・ペロシ下院議長(米民主党)は、同法の廃止などの可能性に言及した。

 

香港に対する政策が大幅に見直されれば、自由貿易港として発展してきた香港の通商や金融市場は大きな打撃を受けることになろう。香港の経済界にも、そうした懸念が広がり始めている。また、中国企業への対応を厳格化している国では、香港企業への対応も、より冷淡なものになっていくだろう。そして、米国に限らず、香港に関しては一定の権益と関心を持っている英国や欧州連合(EU)なども、香港との関係を見直しに動く可能性がある。それは香港のみならず、中国にとっても損失であり、痛手でしかない。

 

香港経済に打撃が及べば、「米ドルペッグ制(1米ドル=7.80香港ドルを中心値として、為替レートを7.75〜7.85香港ドルの変動許容範囲内に維持)」を採用して米ドルにリンクしている香港ドルにも影響は及ぶだろう。香港は、世界でも高度に発展した金融市場で、世界の三大市場に上りつめた。そして、その「金融」力を背景に、香港ドルは米ドルとのリンクを保ってきた。しかし、香港経済という土台が揺らげば、香港ドルの価値への疑問が強まり、売り圧力が強まるだろう。

 

実は、昨年来、米ドル金利の先高感が強まり、人民元も売り圧力に晒される中、香港ドルは、ペッグ制のバンドの下限1米ドル=7.85香港ドルに張り付いて、香港金融管理局が必死に為替介入を重ねるなどして維持してきた。今年に入り、米ドル金利の低下が顕著となり、香港ドルへの売り圧力は一時、薄らいでいたが、ここへ来て、また売り圧力に晒されている。香港政策法の撤廃など、米国の政策に変化が出た場合、香港経済への負の影響は避けられず、香港ドルにも試練の時が来るだろう。その場合には、香港とともに発展してきた金融都市としての機能を損ねる可能性すら懸念される。

 

「逃亡犯条例」案を強引に通しても、政治的には中国にとって大きな前進とはいえないだろう。引き換えに、香港が中国に数多ある都市の一つになってしまったと諸外国から見做されてしまえば、中国も利益を享受してきた香港の「金融」機能や「自由貿易港」機能からの恩恵は失われてしまうことになる。筆者は、比較考量すれば、条例案を引っ込めるほうが、香港政府にも中国政府にとっても、また両国経済にとっても得策と考えている。6月の後半は、香港政府の判断や抗議デモの動向を含めて、この問題から目を離せない毎日になるだろう。

 

 

長谷川 建一

Nippon Wealth Limited, a Restricted Licence Bank(NWB/日本ウェルス) CIO

 

 

本稿は、個人的な見解を述べたもので、NWBとしての公式見解ではない点、ご留意ください。

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