鮮明に浮かび上がる、習指導部の「危機感」
3月5〜15日開催された中国全国人民代表大会(全人代、中国では同時に開催される政治協商会議と合わせ両会と呼ばれるのが一般的)は、中国経済の減速傾向が強まり、また米国との貿易協議が続くなかでの開催となった。
李克強首相が行った政府工作(活動)報告(以下、報告)で19年の成長率目標が、18年の6.5%程度から6%〜6.5%に引き下げられる一方、経済政策の軸足が景気刺激に移ったことに、もっぱら内外の注目が集まったが、両会前後の様々な動きや両会中の各部長(大臣)の発言などを見ると、それだけではない様々な側面が浮かび上がってくる。
2017年に5年に一度の党大会が開催され、その翌年にあたる18年秋に開催予定だった第4回党中央委員会全体会議(四中全会)は、18年初、国家主席任期制限撤廃のための憲法改正審議の関係で、全会が例年より1回多く開催されたことから、過去で言えば三中全会にあたる会議だった。
三中全会と言えば、党大会後の新政権の経済運営基本方針を決める最も重要な会議という位置付けだが(『政治サイクルも景気に影響する中国経済』)、おそらく、この憲法改正によって国家主席の任期制限を撤廃した習近平指導部をめぐる党内権力闘争(『習近平主席の任期制限撤廃・・・中国内外の反応は?』)、対米貿易問題(『誰も勝者にならない?「米中貿易戦争」の行方を占う』)や経済減速への対応での意見不一致から、全会が開かれないままの状況下(19年5月時点でなお未開催)、習指導部は大きな危機感を持って両会に臨んだと見られる。特に19年は天安門事件30周年、中華人民共和国建国70周年、チベット動乱60周年にあたる微妙な年で、習指導部としては何よりも社会の安定確保が最重要課題だ。
複数の華僑向け海外中国語媒体によると、両会直前、中央政治局員は規定に従い習主席に業務報告書を提出したが、そのなかで「親族および周辺職員の教育管理強化の状況」を記述することが必須とされ、これは「余計なことはしゃべるな」という趣旨に他ならないと受け止められた。
やはり両会直前に党中央が発表した「党の政治建設を強化するための意見」は、「いかなる形であれ〝低級紅〟〝高級黒〟をしてはならず、〝両面派〟〝偽忠誠〟を決して許さない」と強調した。これは〝妄議〟、つまりでたらめな議論に対する習主席の〝定於一尊〟、絶対的かつ不変の警告と受け止められた。〝両面派〟は表と裏が一致しない背信や面従腹背、〝低級紅〟〝高級黒〟はいずれも近年のネット流行語で、前者は低劣で幼稚な賛美、後者は婉曲的に賛美しているが、実は風刺というニュアンスがある。
こうしたネット流行語が党の正式文書で使用されたこと自体も人々を驚かせたが、実は、以前から習氏にはこうした流行語を利用する傾向がある。例えば、15年国民向け年頭賀詞で〝蛮拼的〟〝点贊〟を使用しているが、前者は一生懸命頑張る、後者はネット上で「いいね!」にクリックすることだ(『ネット上で自然発生した流行語を「逆に利用する」中国当局』)。
報告の内外情勢総合分析や、成長率以外の各種目標は18年とさほど変わっていないが、各種中国語メディアはこぞって、李首相が約2万字、2時間に及ぶ演説中〝満頭大汗〟、汗だくになってリスクを強調し、危機感を鮮明にしたと報じた。例えば、〝風険〟つまり リスクに24回、〝困難〟に13回、また〝化危為機〟、つまり危機をチャンスに変えるという表現で間接的に〝危機〟にも言及した。これは政府活動報告としては異例と受け取られた。
またこれまでの両会では、少数民族の代表委員などが時に先鋭的な発言をして注目されたが、今回は状況が異なった。党中央が両会に出席する人大代表や政協委員、さらにはメディアにもかん口令を出しているとの噂は毎年あるが、今年は特に締め付けが厳しく、みな不用意な発言をしないよう細心の注意を払った結果、各自が本音を隠し、ますます外には何も聞こえてこない〝無声無息〟状態になったという。
減税規模は「2兆元超」と言われているが、実際には…?
全国全人代に先立って1〜2月に開催された地方全人代で、すでに31省市区政府のうち約3分の2が成長率目標を引き下げていた。その意味で、全国成長率目標の引下げは既定路線で、引下げ幅も大方の予想通りだった。
報告で挙げられた景気刺激策は財政赤字率目標の緩和(18年2.6%→2.8%)、地方政府が特定プロジェクト資金調達のために発行する専項債券と呼ばれる地方債発行上限枠の拡大(18年比8千億元増の2.15兆元)、製造業の増値税率引下げ(16%→13%)を中心に企業の税・社会保険料負担軽減(減税規模18年比7000億元増の2兆元、13〜17年の減税累計額に相当)などだ。
中国当局によると、2兆元のうち、増値税引下げによる減税が1兆元を超える。李首相は報告で12回〝減税〟の文言に言及し、これは〝放水養魚〟、つまり減税でカネを還流させる(放水)ことで企業(魚)を活性化する市場政策だと位置付けた。さらに両会期間中、習主席ら幹部は、政府は減税や経費節約で〝過緊日子〟、つまり厳しい日々を過ごす一方、それは人民が〝過好日子〟、よい日々を過ごすためだとの対比表現で盛んに減税を宣伝した。
18年からの減税繰り越し分もあり、実際の減税規模は2兆元を上回ると言われているが(記者会見での劉昆財政部長発言)、他方で19年増値税率引下げは4月1日、社会保障負担引下げは5月1日実施で、最終的な年ベース減税額は確定していない。
なおその後、国家税務局は1〜5月の減税規模実績が8930億元になったとし、このうち、19年に導入された減税措置による分が3511億元、18年減税の繰り越し分が4604億元、18年に期限が到来したが19年延長された減税措置によるものが53億元。また4月からの増値税率引下げで4〜5月2218億元減税、そのうち最大の恩恵を受けているのは製造業970億元、次いで卸小売業が808億元と発表されている。
財政部長は「世界にも類を見ない大減税」「政府は〝鉄公鶏〟、つまりけちになって浪費しない一方、必要な支出は〝鉄算盤〟、厳密に計算して減税と財政収支均衡を実現する」と発言したが、増値税率引下げ幅については、苗圩工業情報化部長が「党指導部内で1%あるいは2%が適当など意見の隔たりがあった。報告で3%とされたのは意外」と指導部内の意見不一致を暴露している(部長通道と呼ばれる記者が部長をつかまえて質問する通路での発言)。
また06年、08年、いずれの年も個人所得税の課税最低限が引き上げられたにもかかわらず、税収は逆に大きく伸び、11年も減税と言いながら税収は23%増で名目GDP伸び18%を大きく上回った。18年も減税の一方で、一部税率引上げ、電子商取引への課税強化や企業が負担する各種社会保険料徴収の厳格化があった。こうしたことから、実質的に大減税となるのか、懐疑的に見る向きもある。
報告は金融政策について「貨幣供給量(M2)と社会融資規模は名目GDPに見合う伸びにする」として、〝大水漫灌〟はしないことを強調した。〝社会融資規模〟は胡錦濤・温家宝時代の2010年中央経済工作会議(党と国務院が翌年の経済運営の基本方針を決めるため、毎年末に開催する重要会議)で提起された比較的新しい概念で「一定期間内に実体経済が金融システムから獲得した資金」を指す。大半は銀行融資だが、企業債券や委託融資、信託融資なども含まれる。〝大水漫灌〟は本来農業の灌漑方式を指す表現だが、近年、李首相らがばらまき政策は採らないという文脈でよく使っている。
報告は「〝松〟つまり緩和でも、〝緊〟つまり引締めでもない適度な穏健」を保つとし(人民銀行幹部も両会中、同趣旨の発言)、景気刺激が財政政策に依存する形が鮮明になった。ただ全人代最終日記者会見で、「経済減速が続いた場合、一層の景気刺激策を採るのか」との記者からの質問に対し、李首相は「我々にはなお預金準備率や金利の引下げなどの政策手段もあり、それは〝放松銀根〟、つまり単なる景気刺激のための金融緩和ではなく、実体経済が支持するものになる」と答え、景気動向次第では一層の金融緩和があり得ることも匂わせている。
実際、19年5月初旬、人民銀行は中小銀行の預金準備率を引き下げる措置を発表している(2800億元の流動性供給に相当)。他方で、中国経済の抱える総債務の対GDP比率は18年、債務膨張リスクを意識した抑制的金融政策の効果から低下したが、19年3月末は248.8%と18年末から5.1%ポイント上昇し、過去最高水準を記録した(うち非金融企業部門が153.6%で18年末比3.3%ポイント上昇、その60%が国有企業で、その半分以上は地方政府が設立した地方融資平台の債務)。
推計をしている社会科学院系列のシンクタンク国家金融与発展実験室は〝天下没有免費的午餐〟、世の中にフリーランチはないと警鐘を鳴らしている(『西側シンクタンクの推計値に見る「中国の債務」の実態とは?』)。さらに、中国内の専門家からは、金融緩和の景気刺激波及効果が低下しており、単にM2を増やすだけで成長率目標を実現することは難しくなっているとの指摘が出ている。
住宅購入抑制策はピークを過ぎたとの見方が支配的に
人々の関心が高く、また景気に大きな影響を及ぼす不動産市場(関連部門も含めると不動産部門が創出する付加価値はGDPの2〜4割を占めると言われている)への言及は、19年報告では大幅に簡略化された。昨年の政府活動報告では、習氏が16年中央経済工作会議で述べた〝房住不炒〟、つまり住宅は住むためのもので投機するものではないとの文言も含め200字を超えていたが、19年報告では〝房住不炒〟の文言も消えた。
このため、不動産業界を中心に、住宅購入抑制策終了を意味するシグナルではないかと注目された(『中国の不動産政策、全面的政策転換の可能性は?』)。所管の王蒙徽住房城郷建設(住建)部長は部長通道で、堅持すべき5原則として真っ先に〝房住不炒〟を挙げたが、同時に住宅価格急落防止、市場期待の安定化も強調したことから、抑制策はピークを過ぎたとの見方が支配的になった。
全人代最終日に国務院新聞弁公室主催の吹風会(非公式な記者ブリーフィング)で、報告起草チームのメンバーである国務院研究室副主任は、「報告の住宅に関する部分は簡略化されたが、〝房住不炒〟の政策基本方向は不変」と述べている。
また、最終日に採択された報告は(おそらく民主的プロセスを踏んでいることを示すため)当初公表草稿から83か所に及ぶ細かい修正があったが、不動産部分に変更はなかった。両会後、人民日報を始め政府系各紙が都市によって行き過ぎた抑制策の微調整はあっても、全体として抑制策の基調は変わらないとの住建部幹部や専門家の意見を多く報道し、市場の抑制策転換期待を打ち消そうとしているのが目に付く。
また、両会後しばらくして開かれた党政治局会議では、18年12月の同会議で消えていた〝房住不炒〟への言及が復活した。当面、17年から相次いで導入された売買制限(現在全国約60都市で施行。取得して不動産登記した後2〜3年間転売を禁止)の期間が終了する大量の物件が市場に出てくる見込みで、その影響も見極めることになると思われるが、政策の全面的転換は予想を超えて景気が大きく減速した場合のみということではないか。
15年から全人代立法作業計画に載っている不動産税の全国導入に関し(現在は上海と重慶で試験的に実施されている)、報告で「不動産税法立法を〝穏歩〟に推進」と、18年の〝穏妥〟から1文字変更されたこと、栗戦書党政治局常務委員が両会中に、「民法審議と不動産税法制定を含む重要立法事項の実施に注力」と述べたことが注目された。〝穏妥〟が「穏やかで適度に」を意味するのに対し、〝穏歩〟は1歩ずつ着実に作業が進んでいることを示すとして、全国実施が早まるとの憶測が流れた。
ただ、立法作業完了・実施にはなお3〜5年を要するとの見方も多い。「なお大量の準備作業が必要」(中国財政学会理事)、「今は研究起草段階で、研究とはなお共通認識が形成されておらず、意見の隔たりが小さくないことを意味する」「〝穏歩〟とは不動産市場に混乱が起きない状況下でのみ不動産税が導入されるとの趣旨」(国家税務局元副局長が両会後の某フォーラムで発言)など、関係者の発言が相次いでいる。
両会終了後に財政部が発表した文書では、18年立法作業状況の記述で不動産税関連法規起草作業に財政部も参加したと記載されているが、19年立法作業計画のなかに不動産税法への言及がなかったことに注目が集まった。これに関し、全人代常務委法制作業委副主任は、本件立法作業の中心は全人代で、不思議なことはないと述べている。
導入にあたっては、土地使用税等他の土地関連税との関係、景気への影響が慎重に考慮される他、20年に予定されている第7次人口普査(センサス)に合わせて行われる見込みの住宅調査の結果も待つことになると思われる。諸外国の例にならい、一定規模以下の住宅については免税にする方向のようだが、免税水準を判断するため、住宅規模別の居住人口を把握する必要があるためだ。
19年全人代は、経済面では経済減速と高債務依存経済への懸念を両にらみした財政政策と金融政策のポリシーミックスの行方、経済減速が不動産政策にどう影響するか、政治面では各種の締め付け強化や危機意識の表明が習政権の権力基盤強化を示すものなのか、逆に基盤が揺らいでいる裏返しかを見極めていく必要があることを示唆するものになったと総括することができるのではないか。