研ぎ澄まされた能力で、商品の品質維持を支える
◆知的障がい者が戦力となる会社
障がい者が製造を支える日本理化学工業には、いろいろな症状の人がいる。本田さんは「自閉症的傾向」と診断されているが、知的機能の障がいはさまざまだ。厚生労働省の公式サイトには「平成17年度知的障害児(者)基礎調査結果の概要」として、以下のような記述がある。
1 知的障害
「知的機能の障害が発達期(おおむね18歳まで)にあらわれ、日常生活に支障が生じているため、何らかの特別の援助を必要とする状態にあるもの」と定義した。
なお、知的障害であるかどうかの判断基準は、以下によった。
次の(a)及び(b)のいずれにも該当するものを知的障害とする。
(a)「知的機能の障害」について
標準化された知能検査(ウェクスラーによるもの、ビネーによるものなど)によって測定された結果、知能指数がおおむね70までのもの。
(b)「日常生活能力」について
日常生活能力(自立機能、運動機能、意思交換、探索操作、移動、生活文化、職業等)の到達水準が総合的に同年齢の日常生活能力水準(別記1)のa、b、c、dのいずれかに該当するもの。(※別記1省略)
2 知的障害の程度
以下のものを、基準として用いた。
*知能水準がI~IVのいずれに該当するかを判断するとともに、日常生活能力水準がa~dのいずれに該当するかを判断して、程度別判定を行うものとする。その仕組みは図1のとおりである。
3 保健面・行動面について
保健面・行動面について「保健面・行動面の判断」(図2)によって、それぞれの程度を判定し、程度判定に付記するものとした。
※(厚生労働省公式サイトより引用)
日本理化学工業でも社員の状況を把握するため、障がいの症状やIQ(知能検査などの発達検査の結果でわかる知能指数のこと)のカテゴリーなどを認知し、配置の目安にすることもある。しかし、それは働くことを妨害するハードルにはなり得ない。
「1960(昭和35)年から知的障がい者雇用に取り組んできた我が社だからこそ、声を大きくして言えることがあります。それは、彼らが持っている研ぎ澄まされた能力が会社を支えている、という事実です。ムラなく継続する集中力、微細な傷や歪みや気泡を見つける注意力、異物や異変を見つける特別な察知力が商品の品質を支えています。経営する私たちは、彼らが自らの持つ能力を発揮できる仕組みや方法を見つけ、作業や工程を合わせていっただけなのです」
「日本一強く、優しい会社を目指す」
本田さんの作るキットパスは、国内だけでなく欧米でも販売されている。
私は本田さんに話し掛けた。
「素晴らしい活躍ですね。毎日、遣り甲斐があるでしょうね」
やはり、言葉は返ってこない。表情も変わらない。だが、本田さんが小さく頷くのが見え、彼の胸に兆している積極的な気持ちをはっきりと知ることができた。
キットパスの製作室を出た隆久さんは、階段を1階へと降りながら私にこう告げた。
「知的障がい者がチョークやキットパスを作り、この会社を支えています。こうした会社でも安定した経営を実現し、彼らが社会と人々に貢献できるのだと証明していく責任が、私にはあります。もちろん、盤石(ばんじゃく)ではありませんが、経営の安定をもっともっと目指していきたいのです」
チョーク製造という仕事が、成長産業である時代は過ぎた。それでも、隆久さんは事業の安定・拡大を目指す。
「障がい者雇用を継続するためですか」
そう問うた私に、4代目社長は大きく首を横に振った。
「いいえ、それだけではありません。感謝の気持ちです。私を始め、健常者の社員全員が、障がいを持つ仲間に働く幸せを教えられています。彼らは、私たちの築いた工程に従って仕事をしているだけではありません。使命感を持って一心不乱に作業し、会社のために役に立ちたいと渾身(こんしん)で思ってくれています。一瞬一瞬、仕事をする喜びを全身に湛え、それを職場に振りまいてくれるんですよ。その姿を見ているだけで、自然と笑顔が浮かんできます。生きていること、働けること、その喜びを、私は毎日彼らから教わっているんです」
知恵遅れ、精神薄弱者、白痴(はくち)、キチガイ。耳を塞ぎたくなるような言葉で知的障がい者が蔑(さげす)まれた長き時代、日本理化学工業は彼らの正規雇用に踏み切った。以後、彼らこそが事業の主軸となる従事者となり、現在まで会社とともにある。
その事実だけでも奇跡と謳いたくなるのだが、日本理化学工業の真価はその先にある。障がいがある彼らこそが、働く幸せを自他に与えているという事実。
「人の幸せは、働くことによって手に入れることができる。それは、健常者でも知的障がい者でも、少しの差異もない」
この信念を持ち、知的障がい者雇用の道を切り開いてきたのは、社長・隆久さんの父親であり、現会長の大山泰弘さんである。
「父のこうした取り組みに疑問を感じ、反発した時期もありました。資本主義社会にあって、市場拡大や利益追求を見据えたとき、知的障がい者雇用にこだわることが最大のマイナスだと思ったこともありました。今は、一時期でもそう思った自分を恥じています。あの頃の浅はかな自分が、恥ずかしくて仕方ありません」
清々しいその声を耳にしながら、「日本でいちばん大切にしたい会社」と呼ばれる日本理化学工業の来し方行く末を記すことの意味を、私は思っていた。
日本理化学工業のホームページには、「ビジョン/目標」として次のような言葉が記されている。
《日本一強く、優しい会社を目指す。
経営的にも強く、精神的にも強く、人に優しく接することができ、人と環境に優しい商品を作り続ける。》
また、工場の敷地内には彫刻家・松阪三節(まつざかせつぞう)が日本理化学工業に寄贈した彫像「働く幸せの像」がある。その台には、大山会長の言葉が刻まれている。
《働く幸せ
導師は人間の究極の幸せは、人に愛されること、人にほめられること、人の役に立つこと、人から必要とされること、の四つと云われた。
働くことによって愛以外の三つの幸せは得られるのだ。
私はその愛までも得られると思う。
日本理化学工業株式会社
社長 大山 泰弘 平成10年5月》
大山会長、そして大山社長へと受け継がれた経営の理念、チョーク産業を担う従業員たちのそれぞれの人生。その一端を取材し執筆する機会に巡り合った私は、第一歩として会社のエースである本田さんとその家族に向き合いたいと願っていた。日本理化学工業が辿った道程を詳しく知ることと同じように、作業場で出会った輝く瞳を持った青年の生い立ち、その思いに触れたかった。
前例がない家族への取材が叶うのか。無理なら速やかに撤回しようと思っていた申し出に、隆久さんはこう答えた。
「ご家族への取材は、これまで試みたことがありません。それぞれのお考えがあり、それぞれの立場もあります。けれど、小松さんの取材の意図もわかります。本田君のご家族に連絡してみましょう。私からも取材を受けてくれるよう、話してみます」
隆久さんは、日本理化学工業で働く本田さんの家族への取材の機会を、間もなく作ってくれたのである。
障がいを持ちながら働く彼らの来し方と、ともにある家族の思いを聞く。そのことで、日本理化学工業がどれほど特別であるかを、どれほど異質であり、また素晴らしいかを、私は思い知るのである。