看板商品「キットパス」の製造を支えるエース
◆日本理化学工業のエース
昼休みが終わると、社長の大山隆久さんは2階にあるキットパスの製作室に私を案内してくれた。
その部屋に一人でいたその人は、入り口に立った私を一瞥(いちべつ)すると、すぐに視線を手元に戻した。
「こんにちは」
そう声を掛けても、返事はない。
窓から差し込む午後の光が、グレーの作業着を水色に変えていた。眩しさに少し目を細めた私は、長身の青年の黒目がちな瞳に目をとめた。彼は指先で緑色の小さなスティック状のものをつまみ、それを静かに目の前の台に置いていた。
「作業中に、おじゃまします」
そう言って部屋の中央へ歩を進めた私に戸惑ったのか、または、声を掛けた私へ返事をしてくれたのか、彼は被っている帽子のツバにほんの少し手を触れた。
私の背後で、隆久さんの明るい声が響いた。
「彼がうちのエース、本田真士(しんじ)君です。キットパスは我が社が社運を賭けた商品です。それを本田君が先頭に立って製造しています。彼の作業の緻密さ、正確さが不可欠なんです。本当に頼もしい存在ですし、その熱心さと集中力には頭が下がります」
工場の2階にあるキットパスの製作室は、原料や製作過程の秘密保持のため、本来は部外者の入室が禁止されている。
その場所へ、社長の隆久さん自らが先導し、私を案内してくれたのだった。
環境固形マーカーという別名を持つ「キットパス」。それは、授業の要点を黒板に記すチョークを作り続けてきた会社が生み出した、チョークとはまるで違う特徴を持った筆記具だ。
黒板には書くことができない。けれど、ホワイトボード、ガラス、プラスチックなどの浸透しない素材の凹凸のない平滑面にはすらすらと書け(描け)濡れた布などで簡単に消すことができる。色は、白、赤、黄、青、緑、橙(だいだい)、黄緑、黒、桃色、水色、薄橙、茶、紺、紫、こげ茶、灰色の16色。
チョークのように粉塵(ふんじん)が出ることもない、ホワイトボードマーカーのようにインクが薄くなることもない、キャップの閉め忘れの心配もいらない、強い揮発(きはつ)臭もない、消すことが容易で清潔であり、主原料は化粧品と同じパラフィンが使われているので幼児が誤って口にしても害毒がない、また、水で溶かせば絵の具としても使える。事務筆記具としても画材としても斬新な商品である。
隆久さんが解説する。
「このキットパスは、子どもから大人・お年寄りまで、あらゆる世代で落書きを楽しんでいただけるように開発された商品です。これまでの筆記具である色鉛筆、クレヨン、絵の具は紙の上で使うことが前提ですが、キットパスは、紙はもちろん、窓ガラスやタイル、食器やビニール傘にまで文字や絵を描けます。ネーミングには、きっとパスする、夢を叶えるチョーク、そんな意味を込めました」
キットパスの製作室の前に立つとすでに熱が感じられた。体にほんのりと温かさを感じる部屋では、原料を溶かし、色を混ぜ、練り上げる機械が静かに動いている。
匂いも立ちこめている。それはパラフィンの匂いで、化学物質が持つ刺激や異臭は微塵も感じない。パラフィンとは石油原料を蒸留し精製したもので、一般に知られるのはロウソクだ。温度により硬くなったり、柔らかくなったり、形状を変えることができるその原料は、油性のファンデーションやスティック状の口紅にも使われる。
攪拌機(かくはんき)で温かく柔らかいパラフィンに顔料を混ぜ、練り上がったものをクレヨンのような型に丁寧に押し込み、成形していく。
本田さんは、型から取り出したキットパスを丁寧に並べ、その品質を確認していた。
「成形したキットパスは冷却し、その後、紙を巻き、箱に詰めていきます。その作業をする従業員の部屋はこの2階の奥にあります」
隆久さんが工程の説明をする間も、本田さんは、完成途中のキットパスから目を離さない。ときには、並べたものの何本かを指でつまみ上げ、脇にある容器に放り込む。
「ほんの少しでも歪みやヨレやムラがあれば、それをピックアップし練り直します。特別な、本当に特別な集中力と識別力で、本田君はそれを見極めることができます。私などにはできない作業を彼が担ってくれています」
キットパスの成形作業と同時に深まった「責任感」
本田さんはキットパス製造に初期から携わっており、リーダーとして行動している。後輩に作業工程を教えたり、戸惑っている者がいれば声掛けをしたりするなど、キットパス作りの現場には欠かせない存在となっている。
「キットパスの担当以前は、いつも始業時間ギリギリに出社していましたね」
本田さんの隣に立つ隆久さんが振り返る。
「ところが、キットパスの担当になってからは出社がどんどん早くなり、今では始業時間の8時30分にすぐに作業ができるよう、7時台には会社に来ています」
作業場の掃除をし、製造に必要な準備を整えるためだ。責任感や使命感、リーダーとしての自覚は、キットパスの成形作業と同時に深まっていったようだ。
「キットパスに携わるようになってから、成長の度合いが急速に進みました。たしかに話は流暢にできないかもしれないけれど、必要なことをきちんと伝えていく役割も担っています」
繁忙期には残業や休日出勤もあるが、本田さんは「少しでも多くキットパスを作りたい」という。
社長の隆久さんは言った。
「本当に一生懸命やってくれている。本田君がいないと終わらないということも、よくありました。本田君自身、物づくりが好きだといっても、当初は新しい事業でしたからさまざまな試行錯誤もあったと思います。何しろ、製品として進化していかなければならないのですから難しいことが多かった。日々それを考えながら、キットパスは本田君と一緒に作っていきました。私たちこそ、本田君に教えてもらうことがいっぱいだったんですよ。本田君の貢献がなければ、キットパスがここまで早く、我が社の主力商品になることはなかったと思います」
本田さんを「エース」と呼ぶ社長の感激も一入(ひとしお)だった。
本田さんへの尊敬は、健常者の社員こそが抱いている。
「社長の私を筆頭に、社員は皆『障がい者のために何かやってあげる』とか『面倒を見てあげる』という意識はありません。逆に誰もが、彼らから働くことの尊さ、喜びを教えてもらっています」
文字通り、同じ会社で働く同僚たちには、その枠を超え、家族や親友といった思いやりが窺(うかが)える。長年勤めている社員はもちろん、勤務して数年の若い社員たちにも、知的障がい者雇用をスタートした頃から育まれた絆が、受け継がれている。