かつては様々な収入源があった「医局の教授」だが…
大学病院の医局は、多くの人がドラマの「白い巨塔」でイメージするように、医学会の頂点に君臨する存在として認識されていました。
大学病院のなかには、外科医局、産婦人科医局など数十の「医局」と呼ばれる組織が存在し、それぞれの医局には数十人から数百人の医師が所属。医局のなかにもピラミッドが存在していました。
医師としての出世コースにおいてゴールになる「教授」を頂上として、助教授(准教授)、講師、助手(助教)、医員、研修医という明確な序列があったのです。
一般的に大学病院で教授のポストに収まるには、大学を卒業してから20年から30年ぐらいかかると言われています。長年かけてようやくたどり着ける教授の地位。医局におけるその力は絶大でした。
有力な大学医局は多くの関連病院を持っており、医局員は自分で就職先を探す必要がありません。それは就職先に困らないということを意味しています。
ただし、それは医局のサポートがある場合だけ。医局を牛耳る教授に睨まれれば一転して就職先が閉ざされ、医師であるのにもかかわらず職にあぶれてしまう危険性と表裏一体だったのです。
医局は関連病院の人事権をも掌握しており、博士号を授けるだけではなく、市中病院への就職も教授の推薦が重要という時代もありました。このような絶大な権力を持った医局では教授同士の派閥争いも激しく、派閥争いに負けると地位を追われることも珍しくありませんでした。
大学病院から支給される給料は第2回でご紹介した通りさほど多くはなく(関連記事『医師の年収…開業医と勤務医ではどのくらいの差があるのか?』参照)、教授になってもそれほど高給取りというわけではありません。
しかし、教授の年収は給料で決まるのではなく、教授の肩書きを利用したアルバイトによって決まります。
有名な教授ともなれば、大学病院だけでなく、他の病院にアルバイトに出かけることもあります。そうしたアルバイトの年間報酬が500万円以上になることも珍しくないのです。
たとえば、大学病院でも特別診療として特別な患者に対して回診することで1回5万円から10万円の報酬を得られるという話もあります。そのほかにも、人手が不足している病院に対して教授の力で若手医師を配置することで、その病院から大きな報酬を得ることもできていたそうです。また、芸能人や政治家などを相手にした完全個室の病院などでは、教授のブランドを求めて半日で10万円ぐらいのアルバイト料を払ってくれるケースもあったといいます。
他にも、医局の絶対君主制が機能していた時代には、医師が博士号を取得する際、研究費の名目で教授に数十万円を渡すこともざらにあったようです。
地方病院に医師を派遣するときの謝礼や仲人のお礼、製薬会社からの袖の下、講演料や原稿料・・・医局の頂点に立つ教授になれば、さまざまな収入源を駆使して懐を暖めることができたのです。
「新研修医制度」施行で、医局に属さない研修医が急増
しかし、近年、大学医局の衰退によって教授のブランド価値は大きく低下し、アルバイトの収入も減っているといわれています。
そのきっかけとなったのが2004年4月、新研修医制度の施行です。新研修医制度とは、医師免許を取ったばかりの新人医師が、2年間特定の医局に属さずに多数の科を回るという制度です。
この制度に合わせて導入されたのが、医師臨床研修マッチング制度です。臨床研修を受けようとする研修医と臨床研修を行う病院の研修プログラムをお互いの希望を含めて、一定の規則に従って、コンピューターでマッチングするシステムです。
自分自身や研修先の希望に基づいてマッチングする研修の仕組みが導入されたおかげで、出身大学の大学病院の医局に属さずに、待遇の良い市中病院で研修を行う研修医が増えたといわれています。
新研修医制度が導入された2004年、大学病院で研修する研修生の数は4216名だったのに対して、臨床研修病院の研修生の数は3784名でした。ところが、それから13年後の2017年、臨床研修病院の研修生の数が5285名であったのに対して、大学病院の研修生の数は3738名。臨床研修病院の研修生の数が大きく増えたのです。
[図表]医師の研修先の推移
藤城 健作
ウェルス・コンサルティング株式会社 代表取締役社長