汚損した「ルピー」を受け取ってもらえない理由
前回の続きです。
第二に、現代のお金は信頼に左右される。興味深い例として、インドのルピーについて考えてみよう。インド準備銀行によると、汚損したルピー紙幣は、記番号の数字が2桁無事に残っていれば、法貨と見なされる(これはアメリカの通貨でも同じだ)(※1)。しわくちゃになった紙幣、あるいは汚れたり破れたりした紙幣をインドの銀行で提示すると、法律により銀行はその汚損紙幣をピン札と交換しなければならない。
(※1)政府が法貨と定めたお金は、当該国のすべての公的債務および民間債務の支払い手段として認められる。財布の中の20ドル紙幣に内在的価値はなくても、それはアメリカの法貨だ。
でもムンバイの町では、ルピー紙幣の記番号がはっきり読みとれて、無事に残っていたとしても、破れた紙幣や、ぼろぼろになった紙幣を受け取ってくれる人を見つけるのはとても難しい。店主も、タクシー運転手も、露天商も受け取らない──だから店主、タクシー運転手、露天商を相手に商売をする人々も受け取らない。まぬけにも汚れた紙幣を銀行にわざわざ持って行って交換するはめになりたいヤツはいない。
でも当然ながら、だれもが汚れた紙幣を受け取るなら、だれもわざわざ銀行へ行く必要はない。筆者はアメリカで、破れたドル紙幣、しわくちゃのドル紙幣、絵や電話番号が書き込まれたドル紙幣、セロハンテープでつなぎ合わされたドル紙幣、ジョージ・ワシントンの顔が切り抜かれたドル紙幣も受け取ったことがある。
スターバックスの店員が手渡してきた紙幣の記番号が2桁あれば、受け取ることにしている。だれだってそうするだろう(だから筆者も受け取るのだ)。インドの事情はちがう。だれも破れたルピー紙幣を受け取らないのは、他のだれも破れた紙幣を受け取らないからだ。当然ながら、筆者がインドに旅行しても、汚損したルピーは受け取らない──そうしてこの現象を永続化させているのだ。
「法貨ではない通貨」が流通したソマリア
2000年代前半のソマリアでは、興味深いことに正反対の現象が起きていた:法的価値を持たないお金が大いに利用されていた。小口取引に好んで使われる通貨、ソマリアシリングは法貨ではなかった(大口取引には一般にドルが使われた)。長引く内戦のせいで、ソマリア中央銀行は閉鎖されていた。ソマリア連邦の暫定政府が金融政策を任されていたはずだったが、当局はかろうじて首都モガディシュを統治するのが精一杯だった。
当時の法的見地に照らし合わせると、ソマリアシリングの正当性はモノポリーゲームのおもちゃのお金程度でしかなかった。20年前に流通紙幣を発行した政府は、もはや存在しなかった。英『エコノミスト』誌によると、「紙幣の利用は一般に、発行政府への信頼の表れと見なされる」。(※2)ソマリアの例では数十年間、実質的に政府が存在しなかった(※3)。でも通貨──単なる紙切れ──は、着実に歩みを続けた。なぜだろうか?
(※2)“Hard to Kill,” Economist, March 31, 2012.
(※3)暫定政府は2012年に統治を終了、ソマリア中央銀行は業務を再開している。
短い答えは、ソマリアシリングが人々に受け入れられるのは、ソマリアシリングが人々に受け入れられているからだ。もっと詮索すれば、理由はいくつかある。
第一に、シリングは小口取引の交換手段として便利だった。囚人たちが値付けと小口取引をサバでおこなうのに慣れているように、ソマリアの人々はお茶とパンをシリングで買うのに慣れていた。小型の固形石鹼の値段が何シリングか、だれもがよく知っていた。
第二に、ソマリアには強い氏族・親族制度がある。政府はなくても、この制度が強力な社会の糊の役割をして、通貨への信頼を補強したのだ。氏族・親族の人脈に連なる人々は、他の構成員たちもシリングを受け入れると見こんでいた。当時の英『エコノミスト』誌は、こう説明している。「紙幣はつねに、実体ある商品と紙幣を交換できるという利用者の暗黙の了解を必要とする。だがソマリアでは、この協定の力がやや強い:制度を軽視する者は、かれ自身、そして本人が属する氏族への信頼も危険にさらす」(※4)
(※4)Ibid.
Copyright Ⓒ 2016 by Charles wheelan All rights reserved including the rights of reproduction in whole or in part in any form