タフな交渉に不安がある「日本の若者」
外国へ行くたびに感じるのは、日本の豊かさである。
もちろん、富裕層だけで比べたら、外国のほうがとてつもないお金持ちがいるのだが、日本は平均的に豊かだ。インフラが整っていて、街がきれいで、お店のサービスが行き届いていて、治安がよいのが、その証左だ。
それは企業の雇用環境にも見られる。隣国の韓国も、市民の生活だけをみれば日本に劣らない豊かな国だが、受験や雇用における競争は日本よりも激しい。日本と違って国内市場の狭い韓国は、グローバル市場で収益を確保するために、企業も社員もグローバル化にかける執念が日本とはけた違いだ。
韓国のグローバル企業の社員は、海外の子会社へいくとなれば、10年単位での異動を覚悟しなければならない。むしろ、現地に移住し、現地の文化を吸収してマーケティングに活かすことが奨励される企業風土がある。海外に転勤になっても、3年経てば呼び戻してもらえる日本企業とは、グローバリゼーションに対する覚悟が違う。
日本企業もグローバル化に向けて本気にならなければならないが、社員に海外移住をすすめるほどにはなっていない。それは、日本という国があまりにも豊かで住みやすい国になってしまったからだろう。
だが、日本のつくりあげてきた、社会主義的な平準化された豊かさは、逆に日本の若者からハングリー精神を奪い取ってしまったような気がする。
アジアの新興国に行くと、何とか成功してやろう、のしあがってやろうと意気込むガツガツした感じの若者に多く出会う。彼らがビジネスの現場に出てきたら、タフ・ネゴシエーターとなって日本企業を脅かすのではないかと思ってしまう。
かつての日本には、そういう若者が多かったと思う。だから年配の日本人は、アジアを旅すると、懐かしく感じるのだろう。
他人を押しのけてまで前に出る必要がない、いたずらに競争することなく、みんなで手を取り合って進めばよいというのは、日本の豊かさが成し遂げた、ある種の達成なのだろう。
しかし、そのようなユートピアがいつまでも続くという保証はない。
このままグローバリゼーションが進めば、日本人はいずれ、新興国のハングリーな人材との競争にさらされることになる。そのとき、豊かさのなかで育った日本人の若者は、彼らに伍して戦っていけるだろうか。私はそれが心配である。
日本企業の体質を変える人材になれるか?
すでに日本企業は競争に負け始めている。
アメリカでは、シリコンバレーのIT企業が、成果を出せる人には報酬に糸目をつけない能力主義で、世界中から英語を話せる優秀な人材を集めて勝負をかけているのに対し、日本の大手企業は、日本人の採用が中心となり、なおかつ年功序列の平等主義で、同期間で差がつかないような育成をしている。
それは、一見、企業の温情に見えるが、長期的に見れば、社員をスポイルすることにはならないだろうか。英語が喋れなくても、あるいは自分を磨かなくても、クビになることはなく、年次に従って順当に昇給するとなれば、勉強する気がおきなくても仕方がない。
だが、本書を読んだ人は、そういった状況に甘んじ続けたいとは思わないだろう。
大切なのは、いますぐに動くことだ。
刺激を受けて、何かをしなければと感じる人はおおぜいいるが、3日もすればその焦燥感は忘れて、元の生活に戻ってしまう。それだけ、日本企業は居心地がいい。だが、その居心地のよさは、あと何年持つだろうか。
かつてソニーの創業者、盛田昭夫を尊敬していると語っていたスティーブ・ジョブズは、iPodの開発に際してソニーとの提携を考えていたというが、交渉の結果、アップルは単独で開発を行うことになったという。その後の爆発的な普及ぶりは見ての通りだ。
同じようなことが、いまもなお起こっている。かつて業界内で高い位置を占めていた日本企業は、アメリカのシリコンバレー、および中国・韓国・台湾の元気のよいベンチャー企業に常に狙われて、青息吐息だ。
あなたのいる環境は、すでに温度の上がり始めたお湯である。ほうっておけば、あなたはゆでガエルになるだけだ。
大切なのは「あなたが、この世界のなかでいかに生きていくか」だ。そのために、あなたのいる会社を、社会を、変えていかねばならない。