「30年後って、70歳じゃない」
母一人子一人の母子家庭で育ったオレは、母と同居以外の結婚生活は考えられなかった。彼女がその考えに、あまり乗り気でなかったことは、今なら十分に理解できる。理解はできるが、だからといって母を一人にすることはできない。
「自分が住むためのものじゃないんだ。家賃収入を得るためのものだよ。将来に向けて投資することにしたんだ」
ちょっと、ゴールデンゴール商事の受け売りが入っていたかもしれない。案の定、綾乃は心配そうに尋ねてきた。
「そうなの? お金とか大丈夫なの?」
「それがさ、お金がほとんどいらないスキームなんだよね。購入資金は、銀行が全額貸してくれるし、そのローンの返済は家賃収入でまかなうことができるんだって。オレも今まで知らなかったんだけどさ、それを続けたら、30年後には名実ともにマンション・オーナーになれて、家賃収入がまるまる自分のものになるんだ。割といい話じゃない?」
「30年後って、盛史くん、70歳じゃない」
「うん。だから、年金の足しになって、ちょうどいいと思うんだよね」
「ふうん、そうなんだ。うーん、あたしは30年後の年金とか、あまりリアリティーを持って感じられないな。そんな年齢の自分とか、想像したくなーい」
「いや、大切なことだよ。もしかすると、自分は一人で暮らしているかもしれない。それで70歳になったときに、頼りになるのはやっぱりお金だと思うんだよね。身体が動かなくなって施設に入るにしても、元気で一人で暮らすにしても、毎月、家賃収入があるほうがいいじゃない? 今は人生100年時代なんて言われているし」
「そうかもね。でも、あたしはいいや。今の会社だって、そこそこ年金もらえるし、おばあちゃんになったら、それでつつましく暮らすよ」
綾乃は、どことなく機嫌が悪くなったようだ。一人暮らしのおばあちゃんという未来が、気にくわなかったのかもしれない。
あるいは、オレが彼女に罪悪感を覚えているせいで、そう感じられるのかもしれない。彼女がいまだに結婚していないのは、オレのせいなのだろうか。いや、そんなことはないと思う。
「ああ、あたしも家が欲しーい」
「なんかさあ、盛史くん、そういうところ、変わらないよねえ。普段は優柔不断なのにさあ、これだって思うと、誰にも相談しないで決めちゃうし、頑固なんだよねえ。あなたの人生だから、それでいいのかもしれないけど、お金よりも、もっと他人と協調することを学べばいいのに」
綾乃は酔ってきたようだ。ちょっと口が過ぎる。
「協調しているよ。今回のマンションだって、相手先の人間を信用したから、購入を決めたんだ。ただマンションを売りました、買いました、はい、おしまいの関係じゃないんだぜ。その後も、ゴールデンゴール商事さんには、パートナーとして、マンション管理をお願いしているんだ。あそこは自分たちの責任で、きちんと入居者まで探してくれるんだって。これは事業なんだよ。他人の協力がなければやっていけないんだ」
「そう? いいわね。ごめんね。あたし、嫉妬しているのかも。大学から一人暮らしで、20年近く、ずーっと家賃を払い続けて、それでなんの財産も残ってないんだもの。盛史くんみたいに、東京に家がある人っていいよねえ。あ、東京じゃなくって埼玉だっけ。でも会社に通えるならどっちでもいいや。ああ、あたしも家が欲しーい」
そうか、結局、家が欲しいのか。
自分の家って、大切なんだなあ。
酔った頭で、オレはぼんやりとそう考えていた。