物々交換の不便さを補う仕組みとして発達した「お金」
資本主義の話をする前に、まず「お金」とはそもそも何もので、なぜできたかに触れておきたいと思います。
お金ができた理由は「価値」という漠然としたものをうまくやりとりするためであり、お金には価値の保存・尺度・交換の役割があると言われています。
もともと、お金は物々交換の不便さを補う仕組みとして発達したようです。確かに食料はすぐ腐りますし遠くまでは運べませんから、何かに価値のやりとりを仲介してもらう必要があります。この価値の媒介物は、時代によって貝殻だったり金属だったり紙だったりと姿をよく変えます。
他人が必要とする資源を手に入れ、とりあえずお金に換えておけば、自分が何か必要になった時にすぐに交換できます。腐る心配もありませんし、比較的軽いので持ち運びも便利です。現在世界最古のお金は紀元前1600年ぐらいの貝殻とされています。お金は資本主義が発達するずっと前から人間のそばにあったことがわかります。
18世紀から身分の影響力が薄れ、お金の重要性が高まる
そんな長い歴史を持つ「お金」も、かつては今ほどプレゼンスが強くなかったようです。時代によって人間が大事だと思う対象が神様(宗教)だったり、王様(身分)だったりしたためです。
お金が表舞台に出始めるのは、今から300年前の18世紀頃です。このあたりから社会の変化のスピードが劇的に上がっていきます。
いくつかの革命が起き、「自由」・「平等」などの概念が広まり、個人が自分の人生を自由に選択できるようになります。
同時に産業革命が起こり、農業から工業へと生活の中心が移っていきます。労働という価値を提供して「お金」という対価を得る労働者と、「お金」という資本を使って工場を所有する資本家に大別されるようになります。
市民革命により貴族などの身分の影響力が薄れる一方で、工場を作るための原資である「お金」が非常に重要になっていき、労働者にとっても生活する手段として「お金」の重要性が高まっていきます。
このあたりで「身分」から「お金」へパワーシフトが起き、「お金」が社会の表舞台に主役として登場していきます(資本主義)。
ここからの資本主義の発達は説明不要だと思いますので省きますが、この時期から人と「お金」の関わり方は劇的に変わっていったのが感じ取れます。
価値を運ぶ「お金」に「お金」を稼がせるように…
最初は、「お金」は価値を運ぶ〝ツール〟でした。
ただ「お金」が社会の中心になるにつれ、価値をどう提供するかを考えるよりも、「お金」から「お金」を生み出す方法を考えたほうが効率的であることに、気づく人が出てきます。人を雇用して製品を作って市場で売って「お金」に換えてまた何かを買うよりも、「お金」に「お金」を稼がせるほうがもちろん楽です。現在の金融市場の大きさが、それを証明しています。
価値を仲介するツールに過ぎなかった「お金」が、価値から分離してひとり歩きを始めた感じでしょうか。
証券化などのスキームが生み出され、「お金」を金融商品として販売できるようになるとこの流れはさらに加速していきます。証券の証券化まで来るともう実体経済の消費とは関係ないところで「お金」だけがぐるぐるとひとり歩きをし続けるようになります。
価値を効率的にやりとりするための手段として生まれた「お金」は、やがてそれ自体を増やすことが目的に変わっていきます。
いわゆる手段の目的化ですが、資本主義におけるお金の重要性を考えれば必然的な流れだと思います。
資本主義社会ではお金がないと何もできません。日々食べるものも買えませんし、家賃を払うこともできません。また、会社の中ではより多くのお金を稼げる人が評価され出世していくようになります。このようにお金を稼ぐことが生活することと直結していて、それを増やすことに大きな報酬が用意されているので、全員がお金を増やすことのみに焦点を絞るようになります。