高度経済成長時代のあこがれ「ニュータウン」の生活
昭和40年代に始まったニュータウン計画。当時は山を切り開き、大型の住宅団地が公団、公社の下で行われていました。まだ日本の住宅供給が行き届いてはいなく、また、日本の高度成長の足掛かりになり、所得倍増という、国のスローガンのもとで核家族化が進み、住宅の供給が追い付かず、まず、質より量の供給が全国各地で行われた、ニュータウン計画です。
当時は、人々をニュータウンに引き付ける魅力がありました。
高度経済成長の時代、家をたくさん建てることは国策でもありました。実際、国が住宅公団や住宅供給公社を作り、住宅を増やしていきました。
LDKの間取りになっていて、それが当時の人々の憧れでした。
こうした最先端のニュータウンに知識人や文化人が住まわれると、さらにステータスが上がり多くの人が集まってきたわけです。○○先生があの団地に住んでいるから、自分も同じ団地に住みたい、というわけです。
道路の整備が進み、上下水道、都市ガスの都市機能、学校、公民館、公園、交番等が計画的に整備されました。また中心地には大型スーパーが誘致され、銀行、郵便局等が集中し、商業地と住宅地の分離を目指し、住環境の整備がされました。
一戸一戸の宅地も広く取り、歩道をつけたり街路樹を配備したりして、インフラも十分に整備され、さらには市内中心地への道路整備、交通網の整備でバス、電車等も開通しました。一つの町ができあがるというのは、こういうことかと思わせる計画の実現です。まさに公団、公社でなければできないようなプロジェクトでした。人々はこのような夢のようなニュータウンでの生活にあこがれ、何十倍もの抽選を通り抜け、住まいを確保、文化的な生活に向かっていったのでした。
いつまでも空き家にして放置しておくと・・・
あれから40年! 当時は若かった家族世帯も、今では70代、80代、90代へと高齢化しました。子供たちは都会へ流れ、このニュータウンは今やオールドタウンに化してしまいました。住民たちは、中心地のスーパーへの買い物もままならず、タクシー等の営業車を利用していたり、1週間程度の買いだめをしている。スーパーも売り上げが下がってきているのも否めません。
このような中、ある家庭は、街中のマンションに移り住んでいって、今までの家を売却をしようとしていますがなかなか売れません。貸家にしてもいいがなかなか借り手もなく、現在空き家になっています。
最初は、たまに来ては掃除をしたり草取りをしたり、植木の剪定等の管理をしていましたが、本人たちも高齢化してだんだんと荒れ放題となってきました。また、ある家庭では、こどもたちは独立して、それぞれ住まいを構え生活をしていますが、両親も亡くなり、相続問題がこじれ、実家の家もそのまま放置されています。
このように、いろいろな事情があるにせよ、今後ますますニュータウンでの空き家は増加していくことは明白です。行政はいろいろな施策を試みていますが、これといった効果がなく、お手上げ状態なのが本音かもしれません。また民間レベルでも、空き家バンクや空き家管理等を通して、所有者に対して賃貸や売却を勧めたりしていますが、あまりうまくいかないようです。
さらには高齢者が多いので、空き家を改造して老人ホームにするという案も出ていますが、一軒家を老人ホームにしても、そんなに多くの人を受け入れられるわけではなく、事業採算が合わなくなります。ましてや、老人ホームにするとなると、スプリンクラーの設置など、法的基準をクリアしなければならないので、かなりハードルが高くて現実的には厳しいものです。
さて、行政はいつまでも空き家にして放置しておくと、固定資産税の軽減特例をできなくする方向で法律を変えてきました。また、空き家が放置され危険だと判断した場合、行政が強制的に解体してその費用を所有者に請求することができるようにしました。
ちなみに、住宅が建っている土地は、土地面積200㎡/戸につき固定資産税が6分の1に軽減されます。200㎡を超える部分については3分の1に軽減。例えば、200㎡の更地の土地が固定資産税が年間12万円だったとすると、その上に住宅が建っていることで6分の1になるため2万円で済むということになります。
これが、軽減がなくなり、12万円になると、所有者はたまったものではありません。こうして売却なり賃貸にすることを促進させるのです。