「ようこそいらっしゃいました」の簡略形から発生!?
歓迎のあいさつとは別の意味で使われることも
「いらっしゃーい」のギャグで有名な落語家、桂文枝師匠のことを話題にしようというわけではない。人が来たときなどに、歓迎の気持ちを表して言うあいさつのことば「いらっしゃい」の話である。
この「いらっしゃい」は、「よく来た」という意味の敬語表現「ようこそいらっしゃいました」などの簡略形から生まれた表現だと言われている。
もとになった「いらっしゃる」は、元来は、「行く」「来る」「居る」の意の尊敬語である。たとえば「来る」の意味の尊敬語としては、『日本国語大辞典』には、江戸時代の洒落本と呼ばれる、遊里の内部や遊女、客の言動を会話を主体に描いた小説『廓通遊子(かくつうゆうし)』(1798年)の、「どなたもよふいらっしゃりました。きつひ御見かぎりでござります」という使用例がある。
このような「よふ(よう)いらっしゃりました」が、やがて「いらっしゃい」というあいさつのことばに変化していったとされている。実際『廓通遊子』と同時代の洒落本には、「『ヤいらっしゃひ』とおきなをる(=起き直る)」(『仮根草』1796年頃)のように、すでにあいさつことばとしての「いらっしゃい」が出現している。
「ゐらっしゃい」という表記は誤用
「いらっしゃい」のより丁寧な言い方に「いらっしゃいまし」「いらっしゃいませ」がある。語尾の「まし」「ませ」は丁寧の助動詞「ます」である。
「いらっしゃいまし」は、たとえば江戸時代後期の人情本と呼ばれる一種の恋愛小説『春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)』(1832〜33年)には、「うなぎや『いらっしゃいまし。お二階へいらっしゃいまし』」という一節がある。この、『春色梅児誉美』の例は、前の「いらっしゃいまし」と、あとの「いらっしゃいまし」とでは意味が違うことにお気づきだろうか。前があいさつ語で、あとのは「二階へおいでなさい」という命令表現である。
話はいささか脱線するのだが、「うなぎや」にこのように言わせたのは、『春色梅児誉美』の主人公丹次郎と許嫁のお長という若い男女である。往来でばったり出会った二人が、どこかでご飯を食べようとたまたま入った鰻屋で、いきなり二階に案内されるのである。このあとに、店の女がわざわざ二人の脇に衝立を立てるという描写もあり、このことから蕎麦屋の二階はかつて男女の逢い引きの場であったと言われているが、鰻屋の二階も同様であった可能性を感じさせる。
閑話休題。インターネットで検索すると「いらっしゃい」を「ゐらっしゃい」と表記したものが見受けられる。これは「居る」の歴史的仮名遣い「ゐる」からの類推により生じたものと思われる。しかし、文法的な話で恐縮なのだが、「いらっしゃる」は「いらせらる」から生まれた語で、「いらせらる」は、動詞「いる(入)」の未然形 + 尊敬の助動詞「す」の未然形 + 尊敬の助動詞「られる(らる)」である。「入る」の歴史的仮名遣いは「いる」であるから、「ゐらっしゃい」は誤用となる。
□大和ことば・伝統的表現