明治時代までは「おつねん」が主流
明治時代以前には何と読まれていたか?
「年越し」を漢語で言うと「越年」である。たとえば交渉事が年をまたいで行われると「越年交渉」などと言う。秋に発芽して冬を越し、翌春に開花する一年生植物は「越年生植物」である。
この「越年」だが、今でこそ「えつねん」と読まれているが、明治時代までは「おつねん」という読みが主流であったことをご存じだろうか。というよりも、その頃までの例では、「えつねん」という読みはほとんど確認できないのである。
たとえば、夏目漱石の『三四郎』(1908〈明治41〉年)でも「人は二十日足らずの眼の先に春を控えた。〈略〉越年(おつねん)の計(はかりごと)は貧者の頭に落ちた」と「おつねん」と読ませている。
「越年」を「おつねん」と読んでいる確実な例はけっこう古く、室町時代中期の国語辞書である『文明本節用集』にも「越年 おつねん」とあるし、1603〜04年にイエズス会宣教師が編纂(へんさん)した日本語辞書『日葡辞書(にっぽじしょ)』にも「Votnen(ヲツネン)。トシヲ コユル」とある。1932〜35(昭和7〜10)年に刊行された大槻文彦編の国語辞典『大言海』は「お(を)つねん」で見出しが立てられていて、「えつねん」はない。
「えつねん」と読む用例はかなり分が悪く、『日本国語大辞典(日国)』の「えつねん(越年)」の項目で引用している古典例三つ(「東寺百合文書」「杉風宛芭蕉書簡」「滑稽本・和合人」)も、「えつねん」と読む確実な例とは言えない。
『日国』では、「えつねん/おつねん」のように読みに揺れのある語の場合、読みが明らかな用例はもちろんその読みの見出し語のところに収めているのだが(前述の「お(を)つねん」例はすべてそれ)、確実な読みがわからない用例については、現在多く使われている読みの方にまとめるようにしている。したがって、「えつねん」項に収めた三例は、「おつねん」と読む可能性も否定できないのである。
「エツ」と読まれるようになった時期は不明
ちなみに、漢字の「越」は、漢音は「エツ」、呉音は「オチ」である。漢音とは、遣唐使などによって平安時代の初め頃までに伝えられた音で、唐の首都長安の標準音に基づいている。呉音は、古代に朝鮮から渡来した漢字音で、平安中期以後、漢音に対して呉音と呼ばれるようになった。
明治以降、次第に現在のように「エツ」の方が優勢になっていくのだが、それがいつ頃なのか、実はよくわかっていない。ただ、「越」の熟語は「エツ」と読まれるものが多いため、「越年」も次第に「おつねん」から「えつねん」に取って代わられたという推定はできる。今では「越」を「オツ」と読む語は、かなり特殊なものだけである。「改定常用漢字表」でも「越」の音は「エツ」しかない。
もはや日常生活で「おつねん」という読みにこだわる必要はなかろうが、漱石以前の文章を読んでいてこの語を見つけたときは、この当時は「おつねん」と読んでいた可能性もあるということを思い出していただけたらありがたい。
□揺れる読み方