今回は、「いまわ(は)【今際】」を解説します。※本連載は、元小学館辞典編集部編集長で、辞書編集者として多数の辞書作りに携わってきた神永曉氏の著書、『さらに悩ましい国語辞典』(時事通信出版局)の中から一部を抜粋し、変化し続ける「ことばの深さ」をお伝えします。

元来は「今は限り・今はよし」などの下部を略した表現

いまわ(は)【今際】〔名〕

 

語源からは「いまは」の方が正しそうだが……

 

「イマワの際(きわ)」「イマワのことば」などと言うときの「イマワ」だが、「いまわ」と書くか「いまは」と書くか、悩むことはないだろうか。「イマワ」は、死にぎわ、臨終、最期などといった意味である。

 

この「イマワ」は、「今」に助詞「は」の付いたもので、元来は「今は限り」「今はよし」などの下の部分を省略した表現として使われていた。

 

たとえば『竹取物語』には、かぐや姫が昇天に際して天人を押しとどめて書き遺した文に添えた、以下のような和歌が出てくる。

 

「今はとて天の羽衣きる折ぞ君を哀れと思ひ出ける」

 

今はもうこれまでと天の羽衣を着るこのときに、あなた様のことをしみじみと思い出しているのです、という意味である。「今はもうこれまで」というかぐや姫の切ない思いがストレートに伝わってくる。

 

このような「今は」の用法が後に死にぎわ、臨終の意味で使われるようになったわけである。

公的な文章の場合は「いまわ」が無難!?

たとえば『源氏物語』の「桐壺」に、

 

「故大納言、いまはとなるまで、ただ、『この人の宮仕の本意、かならず遂げさせたてまつれ。我亡くなりぬとて、口惜しう思ひくづほるな』と、かへすがへす諫めおかれはべりしかば」

 

とあるように、臨終、最期の意味で使われるようになったのは、かなり古くからであったことがわかる。引用文の意味は、故大納言(更衣の父)が臨終の際まで、ただ「この人の宮仕えの宿願をきっと遂げさせてあげなさい。私が死んだからといって、不本意に志を捨てるようなことがあってはなりません」と繰り返し忠告なさった、というものである。

 

「今は」という語源から考えれば、「は」は助詞だから「いまは」と書くべきものと思われる。しかし、1986(昭和61)年に内閣告示された「現代仮名遣い」では、「助詞の『は』は、『は』と書く」としつつも、「〔注意〕次のようなものは、この例にあたらないものとする」として、「いまわの際」「すわ一大事」「雨も降るわ風も吹くわ」「来るわ来るわ」「きれいだわ」を挙げている。元来の表記は「は」だが、語源意識が薄れ、「わ」と書かれることが多いという判断であろう。

 

「いまは」と書いても間違いではないが、公的な文章の場合は、「いまわ」と書いた方が無難なようである。

 

□揺れる読み方

 

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