漱石は「未だに」「今だに」両方を使っていたが…
漱石の書いた「今だに」は間違いか?
まずは、夏目漱石の『坊っちゃん』の冒頭部分にある次の文章をお読みいただきたい。
「幸(さいわい)ナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、今だに親指は手に付いて居る。然し創痕は死ぬ迄消えぬ」
親類からもらった西洋製のナイフを友達に見せていた坊っちゃんが、よく光っているけど切れそうもないと言われたため、何でも切ってみせると言い返すと、それなら君の指を切ってみろと言われ、指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだときの話である。
いかにも「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりして居る」坊っちゃんらしいエピソードだが、今話題にしたいのはそのことではない。前置きが長くなってしまったのだが、「今だに」という表記についてである。
私のパソコンのワープロソフトは、「いまだに」と入力して漢字に変換しようとすると、「未だに」には変換できるのだが、「今だに」には変換できない。だとすると、「未だに」が正しくて、漱石が使っている「今だに」は間違いということになるのであろうか。
だが実は、漱石は「今だに」だけではなく「未だに」も使っていて、『坊っちゃん』の中にも「未だに」と書かれた箇所がある。
では、「未だに」と「今だに」とはどういう関係にあるのだろうか。「いまだに」は、副詞の「いまだ」に、助詞の「に」が付いたと意識されて使われてきた語だとする説が有力である。つまり「いまだ・に」であって、「いま・だに」ではないというわけである。
「いまだ」を「未だ」と表記するのは漢文の用法から
ここで少し高校時代の漢文の授業を思い出していただきたいのだが、「未」という漢字は再読文字で「いまだ…ず」と読み、「まだ…していない」の意味だと習ったはずである。「いまだ」を「未だ」と表記するのはこの漢文の用法から来ていて、「未だ」に「に」の付いた「いまだに」も、「未だに」と書くのはごく自然なことである。
だが、「今だに」という表記は、おそらくこの語を「いま・だに」に分けられると解釈して生まれた表記であろう。
ちなみに常用漢字表には「未」に「いまだ」「いまだに」という音訓はないため、新聞などでは「いまだに」と仮名で書くようにしている。
私はというと、新聞などと同様に仮名書き派である。
□揺れる読み方