購買・所有からレンタル利用・共有へ
一方、富の分配から見ると、グローバル化した経済は一握りの超富裕層を生みだしている。金融市場で運用することによって使い切れないほど資産を増やし続け、貧困層との格差は開くばかりだ。
貧困層ではない人たちも、この経済の仕組みそのものに嫌気が差している。彼らは産業の都合で大量に生産される製品を買うこと自体にもはやそれほど魅力を感じなくなってきている。
これらの兆候が物語っているのは、従来の経済モデルが生みだした地球規模の危機に対する消費者の反応であり、持続可能な社会を模索する価値観の広がりなのだ。
「ちょっと待ってくれ。消費・所有意欲は資本主義経済の根源的な推進力だ。これを否定したら、経済は活力を失い衰退するだけだ。そこで新しい価値観と呼ばれているものは、エコロジストの社会批判と似たようなものではないのか?」と言う人もいるだろう。
しかし、新しい変化を先導している人たちは、特に無気力でもネガティブでもない。もちろん個性は多種多様だろうが、経済行動について言えば、これまでの消費者より視野が広く、冷静・合理的であるということなのだ。自分がやりたいことはやるし、そのために必要なものは活用するだろう。それが購買・所有ではなく、レンタル利用や共有へ変化したに過ぎない。
たとえば自動車の活用を時間で計算した場合、車を100万円以上かけて購入し、毎月数万円の駐車場代を払うより、必要な時間だけカーシェアリングしたほうがはるかに安くつく。買わない、所有しないことで、それにかかる費用は劇的に減り、ほかの用途に回すことができる。つまり使うお金が減るわけではなく、シェアというスタイルによって、対価を払って活用するモノやサービスの価値を何倍にもしようとしているだけとも言えるのだ。
安すぎて値段が気にならない!?
シェアリングエコノミーと並んでもうひとつ、経済のあり方を大きく変える可能性を秘めているのはフリー・エコノミーだ。
プロモーションのために製品を無料で配るといったビジネスの手法はかなり前から存在する。ソフトウェア・ベンダーが自社の主力製品を売るために、付属的なソフトを無料でユーザーに配る、あるいは広告収入などで運営されるサイトが情報を無料で配信するといったIT業界のフリー・サービスはすでに常態化している。ニュースなどの情報が無料で配信されるようになって、海外では新聞社・通信社が次々と経営危機に追い込まれた。
しかし、今注目されているフリー・エコノミーはもっと大きな変化を経済・社会にもたらそうとしている。
たとえば太陽光発電によって生みだされる電気は、普及によってシステムのコストが劇的に下がり、IoTなどのテクノロジーによって、社会で効率的に融通し合う仕組みが構築されようとしている。この仕組みの普及と発電コストの低下を突き詰めていくと、完全フリーとまではいかなくても、現在よりはるかに安く、値段が気にならないくらい安価で電気を作り、売り買いする社会が生まれるだろう。
産業界全体を見ても、テクノロジーの進化・普及と、生産・流通・販売の効率化により、製品の限界費用(利益をぎりぎり確保できる限界のコスト)は下がり続け、ゼロに近づいていくと、ドイツの文明評論家ジェレミー・リフキンは著書『限界費用ゼロ社会』(NHK出版)の中で述べている。
それがただちに広範囲なフリー・エコノミー社会を生みだすというのは大げさにしても、企業がスケールにものを言わせて追求してきた、効率化、低コスト、低価格による価値は、もはやコモディティ化していて、消費者に価値と見なされない時代になりつつあるとは言えるだろう。企業が今のビジネスモデルを続けるなら、「安すぎて値段が気にならないくらい」まで価格を下げなければならなくなる。クリス・アンダーソンが著書『フリー』(NHK出版)の中で描いているのは、そんな産業と市場の力学だ。