今回は、多数の世界的企業を擁し、ヨーロッパでも存在感を放つスイスの概況を見ていきます。※本連載は、東洋大学経済学部国際経済学科教授・川野祐司氏の著書、『ヨーロッパ経済とユーロ』(文眞堂)から内容を一部抜粋し、EUの経済にまつわる取り組みからヨーロッパ各国の金融政策デザイン、マイナス金利政策などについて解説します。

「グローバル競争力指数」は7年連続1位

スイスは人口や国土の広さでは小国とも言っていい国であるにもかかわらず、世界的な企業が多く集まっている。世界経済フォーラムが発表するグローバル競争力指数でも7年連続で1位となっており、研究開発、民間と大学の連携、効率的な労働市場、労使間の協力などの面で高い評価を得ている※1

 

※1 World Economic Forum (2015), The Global Competitiveness Report 2015-2016.

 

スイスといえば時計産業が有名であるが、16世紀に時計産業が広がった※2。フランスからユグノーがジュネーブに亡命してきたが、贅沢を禁止するカルヴァン主義のために金細工などを身につけることが許されず、金細工職人が時計職人へと転身し、スイス全土に広がっていったことがスイスを時計の国にした。携帯電話などの普及により時計は必需品ではなくなっているが、デザイン性を高めて、時計は単なる時刻を知る道具ではない、というマーケティングを成功させたことで現在まで主要な産業であり続けている。

 

※2 スイス外務省Discover Switzerland ホームページ;ジェイムズ・ブライディング(2014)『スイスの凄い競争力』日経BP 社。

 

時計の技術だけでなく、国際的なブランド展開やマーケティングなど多方面の人材を統合できたことが成功のカギとなっている。主な時計のブランドとして、スウォッチ、ブライトリング、シャリオール、ショパール、フレデリック・コンスタント、ジラール・ペルゴ、ウブロ、パテック・フィリップ、ロレックス、タグ・ホイヤー、ユリスナルダン、ゼニス、ティソなどがあり、スイスアーミーナイフで知られるヴィクトリノックスも単なるナイフというカテゴリーを超えて世界中にファンを得ている。

金融、食品、化学…世界に進出する様々なスイス企業

ここで、世界に進出しているスイス企業を見てみよう。金融では、UBS、クレディ・スイス、ジュリアス・ベア、チューリッヒ、スイス生命、チャブ、スイス・リー(再保険)などが知られている。食品ではネスレ(コーヒー)、リンツ&シュプルングリー(チョコレート)、バリー・カレボー(ココア、カカオ)など、文具ではカランダッシュ、ペリカンなどがある。スイスで重要な産業に医薬品があり、ロシュ、ノバルティス、アクテリオンなどがある。化学ではイネオス、ロンザ、シンジェンタがある。シンジェンタは2016年2月に中国企業の傘下に入り、近年は農薬などの農業関連にも進出している。

 

その他にはホルシム(セメント)、トリンプ(下着)、ジボダン(香料)、ゲバリート(サニタリー)、シンドラー(昇降機)、ABB(産業ロボット)、アルシーズ(パイプライン)、グレンコア(資源)、カバ(セキュリティー製品)、リシュモン(宝飾)、A.ファーブル&フィス(宝飾)、SGS(Société Générale de Surveillance、検査)、ロジテック(PC用品)、スイスコム(通信)、アデコ(人材派遣)、デュフリー(免税店)などがある。グレンコアなどの資源会社は自らが権益を持って採掘をするのではなく、資源の売買で収益を上げている。

 

スイスには多くの国際的企業があるが、それらの企業がスイス国内に分散していることも特徴の一つである。また、これらの企業の創業者は必ずしもスイス生まれではなく、外国からの移民も多い。

 

スイスは、銀行の秘密主義が世界中から資金を集める大きな魅力となっていたが、近年は顧客情報を外国政府の求めに応じて提供するようになってきている。このような制度変更によりスイスの銀行の魅力は低下するはずだが、スイスの金融業が停滞する兆しはない。スイスには金融に精通する人材が多く、特にプライベートバンキングでは人材のネットワークが競争力を決めるため、課税逃れではなく資産運用をしたい富裕層などのニーズを捉えている。スイスフランの安定性という魅力も損なわれていない。

高スキルの移民が多いが、近年では法改正の動きも

いくつかのエピソードを取り上げたが、共通するのは人材の多様性である。外国人であってもビジネスを始めることができ、企業は国際展開をすることで更に人材が集まってくる。現在、スイスの人口の約4分の1が外国人となっているが、エンジニア、研究者など高スキルの移民も多い。世界では高スキル人材の獲得競争が激しさを増しているが、スイスはヨーロッパで最も物価が高い国であるにもかかわらず多くの人材を惹き付けており、その事実自体が更に人々を惹き付けている。

 

しかし、スイスでは移民に対する負の感情も出てきている。人口の増加は住宅不足につながり、住宅価格を上昇させる。移民の犯罪発生率が高いという統計上の証拠がなくても、移民の犯罪はニュースで大きく取り上げられる傾向にあるため、人々は移民と犯罪を結び付けて考えがちである。このような状況の中、2014年2月の国民投票では、賛成50.3%の僅差ではあるが「大量移民反対イニシアチブ」が可決された※3。これは、スイスに滞在できる外国人の数を出身国別に制限しようというものであり、人の自由移動を求めるEUとの間で大きな問題となっている。

 

※3 鹿島田芙美(2014)「「大量移民反対イニシアチブ」可決,スイス経済に激震」Swissinfo.ch.
 

 

国民投票後、EUは2014年9月にHorizon2020へのスイスの参加資格を関係国から第三国へと降格させた。エラスムスプラスも凍結され、現在はアンドラなどとともにその他パートナー国の資格にとどまっており、様々な条件を満たさないとプログラムに参加できないようになっている。これらはEUからの制裁だと考えることもできる。その後2016年3月にEUとの間で「人の自由移動に関する新協定」に合意した。これによりクロアチア人もスイスに自由に入国できるようになるとともに、Horizon2020では一部の項目では第三国から関係国に参加資格が引き上げられた※4

 

※4 Sergio Carrera, Elspeth Guild and Katharina Eisele (2015), “No Move without Free Movement,” CEPS Policy Brief, No. 311;European Commission (2016), Swiss participation in Horizon 2020, June;スイス外務省ホームページFree Movement of Persons Switzerland - EU/EFTA, 1st June 2016.

 

国民投票の結果は無効になったわけではなく、今後スイスの法律が移民を抑制する方向に変わる予定である。これまで見てきたように人材の多様性はスイス経済の大きな力であり、企業からはスイスの将来を悲観する声も出始めているという※5。研究開発が活発に行われているなどの利点も多様で高度な人材を惹き付けられるかどうかという点と密接にかかわっている。スイスがこれからも競争力を維持できるかどうかは、新しい法律によって決まるといってもいいだろう。

 

※5 Peter Siegenthaler (2015),“ Switzerland: still a top destination for firms?,” Swissinfo.ch.

本連載は、2016年11月1日刊行の書籍『ヨーロッパ経済とユーロ』から抜粋したものです。その後の社会情勢等、最新の内容には対応していない場合もございますので、あらかじめご了承ください。

ヨーロッパ経済とユーロ

ヨーロッパ経済とユーロ

川野 祐司

文眞堂

インダストリー4.0,イギリスのEU離脱問題,移民・難民問題,租税回避,北欧の住宅バブル,ラウンディング,マイナス金利政策,銀行同盟,欧州2020…ヨーロッパの経済問題を丁寧に解説。

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