自動車の普及とともに拡大した生活圏
日本で初めて、セルフサービス方式のスーパーマーケットである紀ノ国屋が東京青山にオープンしたのは1953年のことだ。顧客の注文を聞き品物を取り出し、会計するという従来の対面式販売から顧客自らが陳列されている商品を選び、買い物カゴに入れてレジスターで精算する、今日では当たり前の風景が始まったのがこのときからとなる。
その後、自動車が普及するとともに生活圏は拡大する。1960年代半ば10%台であった自動車の普及率も、90年代の初頭には8割を超えるようになる。店舗で働く人と、買い物に来る人の生活圏は重ならなくなった。工業化と同じように小売流通業も規格をそろえ熟練者でなくてもマニュアルで標準化されたオペレーションをすることにより大量の商品をさばくことができるようになり、チェーンストアオペレーションやセルフサービスが発達したため、対面型販売のときのような肌感覚のマーケティングは過去のものとなった。
均質的な顧客イメージが成り立った時代
1952年当時のテレビ(白黒)の普及率は8%だったが、1965年には90%と一気に普及し、テレビ黄金時代を迎える。同一の情報やイメージを百万人単位の人々に届けることができるようになり、世代ごとの共通体験がマスコミによって作られていった。
団塊の世代(1947~1951)、ポパイ・JJ世代(1952~1960)、新人類世代(1961~1965)、バブル世代(1966~1970)、団塊ジュニア世代(1971~1982)など世代で輪切りにすれば共通の消費者行動をイメージすることができる。性別と年齢(世代)を使えばなんとなくみんなが納得する消費者像を描くことができた。
需要が旺盛な時代はとにかく物が売れ、ボリュームゾーンを追いかけることが重要であった。ボリュームゾーンのイメージは「消費者」として「顧客像」を十把一絡げに扱うことができるのが特徴だ。「消費者」=「来店者」=「顧客」という図式が成り立つ。「消費者」を理解すれば「顧客」を理解できる。
マスメディアや市場調査会社が全国規模で調べた「消費者」像を自分のお店の「顧客」に投影してもそれほど違和感はない。この時代は大きな組織でも、共通の顧客認識を持つことが可能な時代であった。あなたの知っている顧客と私がイメージしている顧客は共通のことばで共有することができた。