「また一緒に食べたいね」母の一言で気づいたこと
「ごめんね、食べてもらえなくて」
由紀さんが謝ると、澄子さんは首を横に振りました。
「いいのよ。作ってくれただけでうれしいわ」
その言葉を聞いても、由紀さんの気持ちは晴れませんでした。
母が好きだったものを食べさせてあげたい。そんな思いで準備したのに、結局、容器を開けることすらできなかったのです。
帰宅後、入居時に受け取った書類を読み返すと、確かに「手作り食品の持ち込みは不可」と記載されていました。
「説明を聞いたつもりでも、そこまで気が回っていませんでした」
厚生労働省『令和6年社会福祉施設等調査』によると、2024年10月1日時点の有料老人ホーム(サービス付き高齢者向け住宅を除く)は全国で1万8,460施設。前年より627施設増加しています。高齢者の住まいの選択肢が広がるなか、面会時の飲食物の取り扱いも、入居前に確認しておきたい事項の一つです。
老人ホームでは、食中毒や誤嚥などのリスクを考慮し、持ち込み食品の種類や提供方法を制限する場合があります。ただし、対応は施設や入居者の健康状態によって異なり、すべての施設で差し入れが禁止されているわけではありません。
後日、由紀さんは施設の看護職員に、母が食べられるものについて相談しました。
澄子さんは通常のご飯を食べられるものの、食事中にむせることがあり、食べ方や一口の量に注意していると教えられました。
「母が好きなものなら、何でも喜んで食べられると思っていたんです。でも、体の状態は少しずつ変わっているんですね」
次の面会では、食べ物の代わりに昔の家族写真を持参しました。写真には、運動会のお弁当を囲む家族の姿が写っています。
「あら、これ。私が作ったいなり寿司ね」
澄子さんは写真を指さし、懐かしそうに話し始めました。
「お父さんは、いつも最後の一つまで食べていたわね」
「そうそう。私の分まで取ろうとするから、よくけんかになったよね」
母娘は写真を眺めながら、しばらく昔話を楽しみました。
帰り際、澄子さんがぽつりと言いました。
「また一緒に食べたいね」
由紀さんは、施設と相談しながら、母が安心して食べられる形で好物を楽しむ方法を探したいと考えています。
「無理に食べさせるのは違うと思うんです。でも、母の楽しみを一つでも残せたらうれしいですね」
高齢者施設への入居後は、それまでの生活習慣をそのまま続けることが難しくなる場合もあります。面会時の差し入れについては、施設のルールや本人の体調を事前に確認し、必要に応じて職員に相談することが大切です。思い出を共有する時間もまた、家族にとってかけがえのないひとときになるでしょう。
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