「使うために貯めたわけじゃない」母が大切にしていること
きっかけは、真紀さんが母を温泉旅行に誘ったことでした。
「たまにはちょっといい旅館に泊まろうよ。お金はあるんだし」
美恵子さんは旅行そのものには興味を示したものの、高級旅館の宿泊プランを見ると、少し考え込んでしまいました。
「こんなに高いところじゃなくても、十分楽しめると思うけど」
「お母さん、何のために貯金してきたの?」
真紀さんが尋ねると、美恵子さんは静かに答えました。
「自分で生活できなくなったとき、困らないためよ」
美恵子さんは、亡くなった夫が晩年に介護を必要とした経験を忘れられずにいました。
当時は訪問介護やデイサービスなどを利用していましたが、介護保険の自己負担分に加え、通院時の交通費や日用品の購入など、さまざまな出費が重なったそうです。
「これから私も、いつまで元気でいられるか分からないでしょう。娘にお金のことで迷惑をかけたくないの」
内閣府『令和7年版高齢社会白書』によると、60歳以上を対象とした調査では、今後の生活における経済的な不安として「物価が上昇すること」を挙げた人が7割以上に上りました。また、介護施設への入居費用や医療・介護費の負担を心配する回答もみられます。
美恵子さんも、今の貯蓄があれば必ず安心できるとは考えていません。ただ、真紀さんとの会話をきっかけに、自分の暮らし方について少し考えるようになったといいます。
「娘には、我慢しているように見えたんでしょうね。でも、私は高いものを買うことが、それほど楽しいと思えないんです」
美恵子さんが好きなのは、近所の図書館で本を借りることや、団地の友人と散歩をすること。季節の花を見に出かけたり、商店街でお茶を飲んだりする時間に満足しているそうです。
一方、真紀さんが心配する階段の問題については、今後の課題だと認めています。
「今は大丈夫でも、何年か先は分からないからね」
そこで美恵子さんは、エレベーターのある住宅への住み替え費用や、将来利用できる高齢者向け住宅について調べ始めました。
また、真紀さんとの温泉旅行にも出かけることに。選んだのは高級旅館ではなく、移動の負担が少ない、手頃な価格の宿でした。
「お金は、必要なときに使えるようにしておきたい。でも、楽しみまで先延ばしにする必要はないのかもしれませんね」
貯蓄が十分にあっても、何に価値を感じるかは人それぞれです。老後の生活では、将来の支出に備えることに加え、住まいの安全性や現在の楽しみについても考える必要があります。自分が大切にしたい暮らしを見つめながら、納得できるお金の使い方を選んでいきたいものです。
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