「この家、もう売ろうと思ってる」1年後に娘が聞いた言葉
移住から約1年後、長女の香織さん(仮名・45歳)が久しぶりに泊まりに来ました。
駅まで迎えに来た両親と買い物を済ませ、3人でマンションへ歩きます。坂の途中で美佐子さんは何度か立ち止まりました。
「ちょっと休んでいい?」
香織さんは驚きました。以前会ったときには、母はもっと速く歩いていた記憶があったからです。
部屋に着くと、正夫さんが何気なく言いました。
「ここ、もう売ろうと思ってるんだ」
「え? まだ1年しか住んでないじゃない」
香織さんが聞き返すと、美佐子さんも「私もそのほうがいいと思ってる」と続けました。
海が嫌になったわけではありません。むしろ景色はいまも気に入っています。
問題は、年齢を重ねた先まで同じ生活を続けられるかということでした。
「今はまだ歩けるでしょう。でも75歳、80歳になって、この坂を上れるのかなって思うようになったの」
内閣府『令和7年版高齢社会白書』でも、65歳以上の外出時の移動手段は居住地域によって異なり、都市規模が小さくなるほど自動車を自分で運転する割合が高くなる傾向が示されています。公共交通や徒歩だけで生活できるかどうかは、高齢期の住まいを考えるうえで無視できない要素です。
夫婦はすぐに売却するのではなく、駅周辺の中古マンションを調べ始めました。
次に選ぶなら海が部屋から見えることにはこだわらず、駅やスーパーまで平坦な道で歩けること。病院への交通手段があること。日用品を徒歩圏内でそろえられることを優先するといいます。
「海を諦めるわけじゃないんです。散歩に行けば見られる距離で十分だったんだと、住んでみて分かりました」
旅行先として魅力的な場所と、日常生活を送りやすい場所の条件は必ずしも一致しません。特に高齢期の住み替えでは、現在の体力だけを基準にすると、数年後に同じ生活を続けることが難しくなる可能性もあります。
駅や店まで何分かだけでなく、坂や階段はないか、公共交通はどの程度使えるか、通院が必要になったときにどう移動するのか。住み替えを考える際には、「そこで何をしたいか」と同時に、「そこで毎日の生活をどう続けるか」まで確かめておくことが重要です。
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