「一人で暮らすより安心だから」母が決めたサ高住への転居
「母が来たときは、何かあったのかと思いました。まさか、そのままうちに住むつもりだとは考えていませんでした」
健一さん(仮名・55歳)の母・芳子さん(仮名・81歳)は、夫を亡くしてから約6年間、一人で暮らしていました。
大きな病気はなく身の回りのこともできますが、80歳を過ぎてから転倒が増えました。ある冬には自宅の玄関先で転び、立ち上がるまでしばらくかかったこともありました。
健一さんは妻と大学生の娘との3人暮らし。母の家までは車で40分ほどです。
「何かあっても、毎日見に行くことはできない。母も『夜一人なのは少し怖くなった』と言うようになっていました」
親子で話し合い、芳子さんはサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)へ移ることにしました。
国土交通省によると、サ高住はバリアフリー構造など一定の基準を満たし、少なくとも状況把握と生活相談サービスを提供する高齢者向け住宅です。有料老人ホームとは制度上同じものではなく、基本的には高齢者が生活する「住宅」として位置づけられています。
芳子さんが選んだのは、自宅から車で20分ほどの場所でした。部屋にはトイレと洗面設備があり、食事は希望すれば共用食堂で取れます。
入居当初、健一さんは安心していました。ところが2週間ほどすると、電話の内容が変わります。
「いつ迎えに来るの?」
「迎えって、買い物?」
「家に帰るのよ」
健一さんが「今いるところが新しい家でしょう」と答えると、芳子さんは不満そうに言いました。
「ここは私の家じゃないもの」
以前の家はすでに退去の手続きを進め、家具の多くも処分していました。それでも芳子さんの中では、サ高住は「しばらく滞在する場所」という感覚が抜けなかったようです。
内閣府『令和7年版高齢社会白書』によると、65歳以上の人の住居形態は「持家(一戸建て)」が79.8%、「持家(分譲マンション等の集合住宅)」が3.2%で、8割以上が持家に暮らしています。長年住み慣れた住宅から別の住まいへ移ることは、生活環境そのものが大きく変わる出来事でもあります。
健一さんは「慣れるまで時間がかかるのだろう」と考え、週末には母を訪ねていました。しかし入居から約2ヵ月後、想定していなかったことが起こります。
