あと5センチずれていたら即死だった…26歳のときのバイク事故
私は26歳になる少し前(1987年4月23日)に、バイクで大事故を経験しています。ホンダの1000ccのバイク(ホンダCBX)で、名古屋市内の片側4車線の広い道路を直進していたところ、その道路沿いの駐車場から出てきて、反対車線に行こうとした車が真横から突っ込んできて、その車に跳ね飛ばされてしまったのです。
私も走行中だったので、過失割合は「相手:私=9:1」で、私にも1割の過失が認定されてしまいました。ただ、交通事故に詳しい方ならご存じのように、合法的に走行中の「9:1」の事故は、「1」の過失の私の側には、実質的な過失はほとんどなくて、ほぼ不可避の事故です。ほとんど不可避の事故でも、走行中であれば、「1」の過失が認定されてしまうのです。
この事故で、私は脾臓を摘出する大怪我をしましたので、この事故はもちろん、すごくイヤなことです。
脾臓摘出のための緊急手術をするに当たって、急速に効く麻酔を経管で口から肺に注入され、ほんの数秒で意識を失ったのですが、意識を失う直前に、「これで二度と生き還らないのだけは勘弁して~!」と思ったことを覚えています。
自分はほとんど悪くないのに、大怪我をさせられましたが、摘出手術から目を覚ました瞬間に、「あ~、生きていた。よかった~。よ~し、これからは好きなように生きるぞ! 好きなように生きたおかげで何がどうなろうと、今、この事故で死んだと思えば、たいしたことではないわ」と痛感することができたのです。
そして手術から数日後、診察を受けている時に、「打ち所が、あと5センチずれていたら、肝臓破裂で即死するところでしたよ」と主治医に言われた時には、「やっぱり、あとは、生きているだけ丸儲けだ」「自分が生かされた意味が、何かあるのだろう」と強く思いました。
ですから、この事故を境に、それまで以上に「自由奔放に」生きることを決意できたのです。
家業を継がずに1年間の就職浪人、イギリスで就職兼留学
この事故に遭ったのは大学院博士課程(後期課程)の1年生の時でした。3年後に、大学院博士課程を終えたら、家業の税理士事務所を継ぐことになっていたのですが、「好きなように生きよう」と決意した私は、家業を継がずに、大学に研究助手として残り、その後に就職浪人をしました。
母は家業の税理士事務所を継いで欲しいと願っていたようです。しかし、1年間の就職浪人を経て、イギリスに就職兼留学をする好機を得ましたので、「好きなように生きる」ということを信条としていた私は、海外に飛び出すことにしました。
あの大事故がなかったら、母親の願う通り、家業の税理士事務所を継いでいたと思います。大事故という「すごくイヤなこと」があったおかげで、自分が思う通りの人生を歩めたという「とても良いこと」に繋がったのだと確信しています。

