母の口座は“自分の財布”ではなかった…突きつけられた限界
直人さんにとって、母の口座からお金を引き出せないという現実は想定外でした。
「家族なんです。母のために使うお金なんです」
そう説明しても、手続きは進みませんでした。高齢者の預金をめぐっては、本人確認や意思確認が厳格に求められます。本人の判断能力に不安がある場合、金融機関が家族による引き出しを制限することは珍しくありません。
直人さんは、初めて気づきます。母の年金も預金も、自分が自由に使えるお金ではなかったのだと。
その後、病院の相談員から成年後見制度や地域包括支援センターへの相談を勧められました。成年後見制度は、認知症などで判断能力が不十分になった人の財産管理や契約を支援する仕組みです。ただし申し立てには時間がかかり、後見人が選ばれれば、家族であっても自由に財産を動かせるわけではありません。
「母のための制度だとは分かります。でも同時に、自分の生活が成り立たなくなることも分かりました」
節子さんの入院をきっかけに、直人さんの生活は一変しました。
これまで母の年金から払っていた携帯代や車の費用、日々の食費をどうするのか。病院代や介護サービス費も必要になります。
「母が倒れた心配より先に、自分の生活費のことを考えてしまったんです。そのことが、情けなかった」
厚生労働省『国民生活基礎調査』では、高齢者世帯の所得が公的年金・恩給に大きく依存している実態が示されています。年金は高齢者本人の生活を支えるためのものであり、成人した子どもの生活まで安定的に支える前提ではありません。
直人さんは、地域包括支援センターの職員から、母の今後の介護、生活費の整理、自身の就労相談について話を聞きました。最初は抵抗がありました。
「55歳で、今さら何ができるんだと思いました」
しかし、現実は待ってくれません。
現在、直人さんは短時間の清掃の仕事を始め、生活費の一部を自分で賄うようになりました。母の年金は、入院費や介護サービス、母自身の生活のために使う。そう線引きするしかなかったのです。
「もっと早く、自分の生活を立て直すべきでした」
親子で暮らしていると、お金の境界線は曖昧になりがちです。家族だから、同じ家計だから、困ったときは助け合うものだから――そうした言葉の中で、問題が先送りされることがあります。しかし、その曖昧さは突然通用しなくなります。
銀行員の一言は、母の財布で暮らしてきた生活がもう限界に来ていることを知らせる、決定的な瞬間だったのです。
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