異教徒間の対立を感じない場所
ツアーのガイドは、仏教聖地のブッダガヤ出身であるが、自身はイスラム教の家に生まれたという。痩せたインド人が多いのに、彼はマッチョの巨体で名前をアシュラといった。奈良興福寺の阿修羅像を連想するが、全然イメージが違う。大変な博識で、声も大きいし、全く頼りになる男である。
出発時に医師から狂犬病の虞れを聞いていた。事実、遺跡には多くの野良犬がうろうろ群れているので、アシュラに聞いたら「犬にはこちらから手を触れないように。ただし狂犬病は犬同士で発生したら自然淘汰されてしまうから大丈夫」とのことだった。自然淘汰とか食物連鎖とかが日常にある世界に入って来たことを痛感した。
午後、国内用空港から八〇〇キロメートル東方のベナレスへ一時間半で飛行した。ベナレス空港ロビーの一角で不思議な黒ベールの三十人くらいの一団がいた。特別の方向を向いて土下座でうずくまっている。敬虔なイスラム教徒でメッカへ礼拝しているのだ。
この都市は宗教上の聖地とされ、各宗徒が渾然と聖なる河ガンジスへ沐浴にくる。中東のエルサレムと違って異教徒間の対立はなく、自らの神仏に敬虔に祈る。
インド人の八〇パーセントが古くからのヒンドゥー教徒であり、以下イスラム教、キリスト教、シーク教、仏教、ジャイナ教、ゾロアスター教その他と続き、三十くらいが主な宗教である。ついでに語ると、言語も三十語くらい、そして教育と民主政治に必要な識字率は七〇パーセントの低さといわれる。これで一つのインドという国かと首を傾げてしまう。
ベナレス市内は喧騒の港である。子連れのおばさんのバクシーシ(お恵み要求)も寄って来る。今でも子供の手足を折り障がい者にしてお恵みをねだる場合もあるという。街では見栄えなど考えないで、男は下シャツだけ。上半身ハダカも多く、足はサンダルである。女性は奇麗なサリーを一日中着ている。
夕食はホテルでタンドリー・チキンを食べた。釜で焼く製法のものだった。インドはカレー責めだと覚悟していたがそんなことはない。
ゆったりと音もなく流れる「ガンジス河」
三日目はこの旅のハイライトで、最も忙しい一日だった。朝の四時起きで夜明け前のガンジスの右岸に着いた。
暁闇の空から月がぼんやりした地上を照らす。岸は石造りのビルが黒く並んでいるが、岸辺から階段になって河水に没している堤をガートと呼び沐浴の場である。あるガートの岸で明々と激しく火が燃えている。
対岸は二〇〇メートルもあろうか静寂で何もない。十人乗りのボートで乗り出す。河面は濁っているが、ゆったりと音もなく流れる。霊気というより妖気のようなものを感じた。私は河水を掬って放り投げた心の厄を落とし、合掌して感謝と今後の旅の無事を祈った。
ガートに戻り、先程の火炎に近づいた。アシュラが「これは木材を積み上げた火葬場です。ヒンドゥー教徒はみな野外で火葬します。イスラムは土葬で、これが風習の対立の元になります」と説明した。
今火葬中だそうで、木材の炎の下から遺体の足が突き出ている。こんな場合、野良犬が足首を咥えて行ってしまうという。遺灰はガンジス河へ流し、魂は自然の中に還る。
日本では大津波で街と共にアッと言う間に亡くなる「いのち」。死は何処でも時を選ばず平等と思う。