インド亜大陸を走る
かねてからシルクロードに憧れていたが、現状では最もテロの危険性が高い地帯でもある。ではせめて敦煌ぐらい見ようかと思ったところ、どうも中国情勢が悪くなった。一転してインド(シルクロードからは外れるが)の空気をこの際浴びてみようと決めた。
「金と物」の西洋よりも今は「心の幸せ」の東洋。その原点が見たかった。ところが、二人の医者にこの件を相談したら、ともに首を傾げられた。
それぞれ曰く「マラリアが多い」、「狂犬病の恐れあり」とのこと。事実かどうかは後でわかるが、インドには医者が多いそうだからとりあえず英文の紹介状をもらって出発した。二〇一〇年十一月二十一日十一時半、成田空港発、インディア航空である。
デリーまで五時間の空路。時差は三時間半で時計を戻せばよい。北インド平原にさしかかると、雲海のかなたにヒマラヤが、白く遠く空と大地の青の間に横たわっていて、それは「神々しい」としか言いようがない。欧州のアルプスも美しさはあるが、恐ろしい歴史を持つ山脈だった。
デリー空港の新しいホールの壁面から巨大な手の形の彫刻が五本、それぞれの印相と幻想的色彩でインドの夢のように並んでいるのには、期待感で胸がわくわくしてきた。そのまま「タージ・マハル」という名のホテルに着き泊まる。
このホテルは王宮風のインテリアや優れたスタッフのサービスでデリー随一とされる。今回のツアーのホテルはすべて高級で、衛生的でほっと一安心。我々のツアーは全十四名で、私が最年長である。男性は四名だった。
二日目の朝食はバイキングで汁物が多いと感じたが、予想していたカレーが一、二鍋と少なく、以下旅行中ずっと同じで、しかもピリ辛のものが少なかったのは意外だった。季節によって辛さが変化するのかもしれない。
観光は広大なインド門付近の広場見学から始まった。イギリス植民地時代のデザインだが、インド人のプライドが感じられ大統領官邸や国会議事堂も落ち着いた雰囲気だ。
大規模イスラム遺跡「クトゥブ・ミーナール」へ
次は南郊外約一五キロメートルの世界遺産でイスラム遺跡のクトゥブ・ミーナールへ向かった。この国で大規模な建造物はイスラム系のものが多く、概ね石造りである。
途中デリーの街を見たが人口千二百万の大都市にもかかわらず雑然とした低層建築が多く、道路も狭いのに自動車、バイク、輪タクなどがクラクションを勝手に鳴らして渋滞して、いかにも発展途上国という感じだった。
さて遺跡へ着くと、一本の高い塔が目立つ。着陸直前の飛行機からも見えた。高さ七二・五メートル、基盤径が一四・五メートルで、五層の下から赤砂岩、大理石、砂岩で築かれている。塔の横にインド初のモスクがあり、現地の小学生の一隊が賑やかに見学して行った。ネクタイ付きの制服で、デリーの上流階級の師弟と察せられる。
インドの人口は世界で二番目に多い十二億人で(数年のうちに中国を抜いて一位になるという)。貧富の差は凄まじい。その上昔ながらのカースト制度もだいぶ携帯電話の普及などで緩んできたが、まだ過半数の地域で守られている。