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記憶から記録へのパラダイムシフト
今、AIになぜ大きな可能性があるのか──それは私たちが生きている21世紀が「記録」の時代だからです。では、20世紀はどうだったのか──それは「記憶」の時代でした。「記憶」から「記録」へ、時代は大きく転換しました。
20世紀は記憶に優れた人が、すなわち賢い人でした。携帯電話がまだ現れず、固定電話が主流であった頃、近所の喫茶店から友人の自宅、病院や駅、学校など、やたらに電話番号を覚えていて一目置かれている人がいました。学力も記憶力が勝負です。
いかに覚えるか、語呂合わせで歴史的な事件の発生年を覚えたり、手を動かして覚えるべきことを書き写すといった、さまざまな記憶術が紹介され、とにかく覚え込んで、そして試験が終わればすべて忘れるというのが勉強法でした。特に人文系の勉強は”暗記物”と呼ばれ、たくさん暗記した人間が好成績を取ったのです。
技術の世界でも重要なのは記憶でした。優れた技術はそれを使う当人が先達の技を見て覚え、指先や体で覚え込んでいくものでした。暗黙知と呼ばれ、経験を通して体に染み込ませた言葉にされることのない記憶です。
ビジネスでも記憶が大きな力を持っていました。上司や同僚から聞いた話をよく覚えている、会議の内容を記憶している、顧客と話した内容をしっかり頭に入れている、という従業員が「仕事ができる人」の代名詞でした。
経営者に求められるスキルも、やはり記憶です。昔経験した失敗、危機を乗り切ったときの知恵、そうしたことをしっかり覚えていて、「これはあのときのこのケースと同じだ。こうすればいい」と記憶を引き寄せて対処する──たくさん記憶の引き出しがあり、どこに何がしまわれているかしっかり覚えていて、必要に応じてさっと取り出せるのが経営者としての能力の証しだったのです。
私たち昭和世代は経験値の塊です。体験してきたこと、積み重ねた知恵、現場で身に付けた技術、人との付き合い方や感情の機微まで、経験を積み重ねるなかで学んできました。書きとどめているわけでも、誰かに教えられたものでもない。それらはすべて暗黙知の世界に属するものです。
しかしこうした記憶に基づく暗黙知はすべて属人的なものです。人と共有することはできません。それはどこまで行っても一人の財産でしかなく、その人とともに失われます。
一人だけが覚えているというのでは、それがいくら質が高く量が多くても、組織の財産として共有されず、限定的で失われるリスクもあります。できる職人のそばに若手を配置して技を盗ませる、優秀な営業担当社員に若手をつけて商談に同席させる、というような見習い修業やOJTが行われることになりますが、知恵や技術の継承という意味では非効率で手間がかかります。
しかも記憶の世界では、思い出したくないものを無意識のうちに闇のなかに封じ込め、都合のいいものだけを残しておくということがしばしば行われます。思い出したくないことは少しずつ記憶から遠ざけられ、あるいは自分にとって心地よいものへと姿を変えています。
記憶というのは恣意的なものであり、記憶されているのは、今の自分が受け入れやすいもの、あるいは、こういう自分だったと人に示したい姿です。遠い過去のことは、もう知っている人はいません。「いや、あなたはそうじゃなかった」と横から指摘する人もいないのです。
記憶のなかの自分は、そうありたかった自分、今の知人や友人に「そういう人だったのね」と思ってもらいたい自分です。意識的ではないかもしれません。しかし誰もがそういうつくりかえをしています。記憶はそれほど曖昧なものです。

