「箱入り娘」という名の檻と、最初の介護
Aさんは55歳の独身女性。一人っ子として、「女の子だから」と両親から過保護かつ厳格に育てられました。学生時代は、友人の家で遊んでいても門限が夕方5時。夏休みに友人宅にお泊りをしようと計画したものの、両親の許しが出ずに1人だけ日帰りでした。大学卒業後、都内に就職を希望するものの、「お前みたいな世間知らずが東京に行くと、悪い人に引っかかってしまう」と希望は叶わず、地元の製造業に就職することになりました。
Aさんの「当たり前」が崩れたのは40代に差し掛かったころ。78歳の父が駐車場の輪留めに引っかかって転倒し、足を骨折しました。動けないストレスを母とAさんにぶつけるように。母1人で体重のある父の介護はできず、Aさんは介護休業を取得します。
イライラを募らせる父によって家中が険悪。誰にも相談できずにいたところ、3ヵ月後、父は心筋梗塞で急死しました。「いけないと思いつつもホッとした気持ちになってしまった」それが、Aさんの本音でした。
母の変貌と「介護離職」への坂道
父の死から3年後、今度は81歳の母が転倒し腰を強打、圧迫骨折します。父が亡くなって仕事に復帰したAさんでしたが、この3年間、母との会話に少しずつ違和感を覚えることが増えていました。最初は耳の聞こえが悪くなったからだと思っていましたが、同時に認知が進んでいたのかもしれません。圧迫骨折を機に、また介護が必要になったのです。
父のときに母も辛い思いをしたから、介護する側の気持ちをわかってくれるだろうと思っていましたが、母は自分中心に話をするようになり、Aさんが話しかけても聞いてもらえず、言いたい放題。Aさんは、母親の介護でも介護休業を取得しますが、介護休業の93日を使いきっても、1人で動けるのはトイレ程度。お風呂は支えがないと入れません。認知症の不安定さを考えると正社員で働くことに難しさを感じ、上司に相談のうえ、半日のパート勤務へ契約を変更しました。
Aさんは、母に施設をと考えましたが、「親を見捨てるのか、他人に介護されるのは嫌だ」と言い放ち、しばらくは介護認定も受けずに1人で介護を担います。介護されていた父は、たびたび母とAさんを罵っていましたが、今度は母がAさんを罵るようになりました。仕事から帰宅すると、母は「仕事と偽って遊んでいるのだろう」と疑ってきたりします。Aさんは、極限まで追い詰められ、ついには仕事を辞めることを決断しました。
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