預貯金がない交通遺児の世帯は「24%」もある
2015年8月2日付の日本経済新聞に、交通遺児世帯のうち預貯金が100万円に満たない家庭が4割に上り、進学が厳しい状況に置かれているという記事が掲載された。「交通遺児育英会」の調査で明らかになった数字だが、預貯金がゼロという世帯も24%あるという。
本来、交通事故被害者の賠償が十分になされていれば、遺児たちの進学がこれほど厳しい状況になることはないはずである。
「交通遺児育英会」は高校生以上の交通事故遺児に奨学金を出す公益財団法人だが、調査した492世帯のうち被害者が父親だったケースが全体の85.2%。事故後の家族構成を見ると259世帯が母子家庭で、そのうち半数の家庭で母親が非正規雇用の勤務をしていたという。
交通事故は被害者本人も大きな損害を受けるが、家族もまた同様なのである。これらの被害者や、その家族をどのように救済すべきなのか。
これは、それぞれの国家の国民性や福祉制度などと密接に関連して決定されるべきものであるのだが、どのような制度を作ったとしても、交通事故賠償制度には弱者救済の社会保障的な視点が絶対に不可欠なのである。
被害者は、自賠責補償額を超える賠償金を得られない
現在の我が国の、自賠責保険と任意保険の2段階の保険による補償では、加害者が任意保険に加入していなければ、被害者は、現実的に自賠責補償額を超える賠償金を得ることはできない。
では、なぜ2段階の保険制度を現在に至るまで維持しているのであろうか。加害者が、たまたま任意保険に入っていてくれた場合の被害者は運が良くて、そうでない被害者は運が悪いのだと言いたいのであろうか。
仮に、任意保険に加入していたとして、一般的に交通事故の賠償金額は、低い順に、自賠責保険基準と任意保険基準、裁判所基準の3つの基準で決定される。この3つの基準が存在すること自体、国民の多くは知らない。
交通事故の示談交渉を一手に引き受けている保険会社は、なるべく低い賠償金で収めようとすることはすでに述べた。被害者は、結果として納得できない賠償に甘んじるしかないという事態が起きる。
さらに、交通事故の損害賠償は、将来の賠償(たとえば、死亡までに受領できたはずの給料など)について、今現在受け取るという性格である。先んじて支払いを受けた分のお金は運用することも可能であるから、運用益を控除するという扱いを裁判所は行っている(裁判所が行うため、示談のときも同様に控除を行う)。
ところが、最高裁によれば、その運用利率は民事法定利率、つまり5%(民法改定により利率が変更される予定であるが、執筆時点では年5%)であるとしているのだ(ライプニッツ係数の問題である。この問題も後に詳しく述べる)。
定期預金利率が0%台の現在、読者の中で、年5%で財産を運用できている人がどれほどいるだろうか。賠償金を預貯金として置いておく限り、必ず想定より早く賠償金を使い切ってしまうのである。
先の交通遺児世帯が受領した賠償額は、このような現実の中で十分なものではなかったのではないのだろうか。