多くの被害者が「不十分な賠償」で泣き寝入りしている
前回紹介したようなケースは例外だと思われるだろうか?実は交通事故賠償の現場ではけっして珍しいケースではない。保険の担当者が強引に治療や休業損害を打ち切る。そして、どんなに後遺症状が強くて日常生活に支障を来していても、後遺障害が認められない――。
弁護士を立てるのもお金がかかるし、ましてや裁判になれば精神的な負担も時間もかかるだろう。多くの交通事故被害者が不十分な賠償に不満を持ちつつも、どうすることもできずに泣き寝入りしているというのが実態なのである。
さらに、慰謝料などの損害賠償の基準には、自賠責保険の賠償額を最低基準として、最も高い裁判基準までがある。任意保険に加害者が加入していれば、状況に応じて自賠責保険の補償額よりも厚い損害賠償が得られるはずだと誰もが思う。
ところが実際は、保険会社はできる限り最低保障の自賠責基準に近づけた賠償額で収めようとするのである。事故被害者の多くはそんな事情は知る由もない。保険会社の担当者、交通事故賠償の専門家が言うのだからそうなのだろうと思ってしまう。
こういったことに、どうしても納得できないという人が、我々のような弁護士事務所に相談に訪れる。
ただし、弁護士が表に立ったからといって自賠責や保険会社は簡単にはこちらの意を汲んではくれない。後遺障害の認定基準は、画一的な基準であり、しかも非公開である。いくら医師の診断書があっても、基準に沿わないものは認められない。示談交渉でも、なんだかんだと理由を付けて賠償金の支払いを渋る。
意を決して、裁判所に救済を求めて訴訟を提起する。しかし、その裁判所でもまた、弱者救済の視点が欠けているとしか思われない判断例が目立つのだ。
裁判所は、後遺障害の判断については、自賠責保険の認定を一次的に採用する。このような裁判官の前では、自賠責の等級認定を争う被害者は、そもそも不利なところから裁判を始めなければならない。
そのうえ、裁判所は明らかに判決ではなく和解することを強く勧めてくる。中には和解案を提示しつつ、判決に至ったらもっと賠償金額が減るとあからさまに脅してくる裁判官さえ存在する。
このように弁護士が間に立っても、なかなか簡単にはいかないのが日本の交通事故事件の現実なのである。ましてや個人で争ってどうにかなる相手でもない。
この現実は弁護士法人サリュが、前著『ブラック・トライアングル』を上梓した5年前と変わらないどころか、悪化している。我々の目に映るのは、我が国の交通事故賠償法の枠組み、制度そのもののおかしさであり、加速する一方の制度劣化である。
国と裁判所という大もとがまっとうに機能していない
ちなみに前著で提示した交通事故賠償とその制度の問題点は保険会社による治療費や休業損害の打ち切りなど、保険金値切りの問題、自賠責保険の等級の内容や認定の不透明さなど制度上の問題、裁判所の硬直化した自賠責寄りの判断などであった。
前著で指摘したこれらの問題点は5年を経た現在も相変わらず存在し続けている。本書ではこれらの問題について掘り下げていくと同時に、より本質的な問題の根を明らかにしていく。
それは何か? 結論から言うと交通事故賠償の問題の根本には、国としての制度設計と運営、すなわち立法や行政の問題と、それをチェックし改善させる方向に向かわせる裁判所、すなわち司法に非常に大きな問題があるということである。
確かに交通事故賠償の現場において、保険会社の勝手で横暴なやり方には大きな問題がある。その実態と手口は前著でできる限り示したつもりだ。しかし営利企業である保険会社に示談代行権を持たせ、自賠責の運営の多くを委ねていれば、結果は目に見えている。
自社の利益の最大化を図るのが資本主義社会における企業の本質である。保険会社とて例外ではない。公共の利益の視点や弱者救済の視点からそのやり方を修正し、しかるべき賠償制度のアウトラインを描くのは自賠責保険制度を作った国であり、人権救済の砦たる裁判所であるはずだ。
まず国と裁判所、この2つがしっかりとした方向性と理念を持たなければならない。今の交通事故賠償制度と運営が問題山積なのも、実は国と裁判所という大もとがまっとうに機能していないことに尽きるといえるのではないか。