「お疲れさま」の一言も、最後までなかった
「離婚届を差し出した夜のことは、今でもはっきり覚えています」
そう話すのは、東京都内在住の彩子さん(仮名・58歳)。この春、38年間連れ添った夫・誠一さん(仮名・61歳)と離婚しました。
誠一さんは大手電機メーカーに勤め、部長職まで務めた、いわゆる“エリート会社員”。定年退職の日、彩子さんはささやかな夕食を用意して待っていました。
けれど、夫の口から出たのは感謝の言葉ではありませんでした。
「で、これからは何をするんだ? 一日中家にいるわけじゃないよな」
「君もお疲れさま」の一言もありませんでした。その瞬間、胸の奥で何かが静かに折れた気がしたといいます。
結婚生活のほとんどで、彩子さんは専業主婦でした。夫の転勤に合わせて仕事を辞め、子育てと家事を担ってきました。
「俺が誰のために働いてきたと思ってるんだ」
それは、夫の口癖でした。家計の決定権、住む場所、老後の方針――すべては夫主導。彩子さんが意見を言うと、「文句があるなら稼いでみろ」と返されることもありました。
「気づけば、自分の意見を言わないことが“当たり前”になっていたんです」
定年後、そのバランスは一気に崩れました。
退職してからの夫は、家にいる時間が急増しました。彩子さんの家事のやり方に口出しをし、買い物の金額を細かくチェックし、「今日はどこへ行った」「なぜそんなに時間がかかる」と問い詰める日々。
「年金と退職金があるんだから、贅沢さえしなければやっていけるだろ」
そう言いながら、夫自身は趣味のゴルフや高級時計にお金を使う。その一方で、彩子さんが友人とランチに行くことには顔をしかめました。
「この人と、この先20年、30年を過ごすのは無理だと思いました」
