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なぜ「心神喪失」だと無罪になるのか? 刑法第39条の“論理”
刑法第39条1項
心神喪失者の行為は、罰しない。
刑法には、このようにハッキリと書かれています。しかし、「精神障害なので無罪」と聞くと、多くの人は「犯罪がやり得になっているのではないか」「まるで精神障害の人が優遇され、特別扱いによって刑罰を免れているようだ」という印象を抱くかもしれません。なぜ「心神喪失」だと、刑罰を受けないのでしょうか?
その理由は、「責任能力」がない状態で犯罪におよんだ場合、それを罰するべきではない、という考え方に基づいています。責任能力とは、その人を非難するために行為者に必要とされる一定の能力のことです。つまり、心神喪失者を罰しないことの理由は、非難できるだけの能力を有していないから、という考えが根本にあります。
これに対しても、「精神障害を持っていても、私は問題なく非難できる」と納得できない人は多いと思います。この不満に対し、納得感のある説明をするためには、「責任能力がない」とされる例を考えるのが近道です。その代表例が、「幼児の行動」です。
子どもがいる家庭や、親戚の幼児と頻繁に触れ合う人はよくご存じかと思いますが、4歳くらいの幼児はときに残酷であり、感情を抑えられず攻撃的になることがあります。筆者も子を持つ親ですが、幼児のころは、思った以上に全力でパパを殴ったり蹴ったりしてくるので、慣れるまではビックリしていました。
このような幼児の行動は、行動だけをみると暴行罪です。「親子だから問題ないこととする」というルールは、窃盗罪にはありますが(親族相盗例)、暴行罪にはありません。幼児のすることに暴行だなんてなにをいうんだ、と思うかもしれません。しかし、これは行動だけをみれば、暴行罪にあたることは否定しがたいのです。
また、想像したくありませんが、こういった子どもによる暴行は、眼球など当たり所が悪ければ、あるいは、骨が弱っていたり転倒しやすい高齢者だったら、大きな怪我や、場合によっては死に至ることも否定できません。
それでは、幼児の暴行は暴行罪として処罰するべきなのでしょうか? 少年法があるから大丈夫、と思いますか? 少年法があっても重大な犯罪は処罰の対象ですし、少年法による対応でいいなら、3歳の子どもを少年院に入れるべきだ、ということになりますが、それでいいのでしょうか?
幼児の行動を暴行罪にしないためには、「幼児のすることに暴行罪だなんて……」と思う素直な気持ちを、法的に整理する必要があります。「幼児の行動を非難することは難しい」と、認めるほかないでしょう。なぜなら、幼児は未熟であり、善悪を理解し、行動をコントロールする力が備わっていないからです。これが、幼児の暴行を非難することが難しい論理的な理由になります。
私たちは日常のなかですでに、「責任能力がない者には罪を問えない」という感覚を自然に持っているのです。
そして、法律は公平に適用されなければなりません。善悪を理解し、行動をコントロールする力が備わっていない幼児の行動は罪に問えないのであれば、同程度以下に、その力が備わっていない精神障害者の行動も罪に問えない、とするほかありません。
「4歳くらいの幼児同様に、能力の不足した大人なんているわけない」「大人なら、そのくらいの能力くらい持っているべきだ」という意見もあるでしょう。
しかし、精神疾患には軽度のものから重度のものまであり、重度である場合、一定の能力について幼児以下にまで低下することは、充分にあり得ます。また、「大人なら、そのくらいの能力を持っているべきだ」と、「そうあるべき」という理想論を述べても、現実に能力が欠けている人は存在するのです。
以上のような考え方から、「責任能力がない状態で犯罪に及んだ場合、それを罰するべきではない」という法になっています。それが、心神喪失者が無罪になる理由です。

