「大丈夫だ。心配するな」父の言葉を信じていたが…
「父はずっと“平気だ”と言っていたんです。『年金はもらっているし、何も困ってない』って…」
そう語るのは、埼玉県在住の会社員・佐野智也さん(仮名・42歳)。3年前に母を亡くしてから、北海道の実家で一人暮らしをしていた父・裕一さん(仮名・76歳)が、ある冬の日を境に連絡を絶ちました。
「LINEは既読にもならず、電話も出ない。妹と相談して、警察に連絡しようかという話になった矢先、ようやく1通のメッセージが届いたんです」
そこにあったのは、わずか10文字──「もう放っておいてくれ」。
年明け、智也さんは北海道へ飛び、父の暮らす家を訪ねました。雪に埋もれた玄関を開けると、室内は異様な静けさ。キッチンの冷蔵庫には何も入っておらず、リビングには使い古された灯油ストーブが電源コードだけを床に残して転がっていたといいます。
「暖房は止まっていて、部屋は信じられないほど寒かった。父は毛布にくるまって座っていましたが、ろくに会話もできない状態でした。灯油が切れて、買いに行くお金も体力もなかったようです」
財布には数百円しか残っておらず、預金通帳の残高も数千円。年金は毎月18万円程度受給していたはずですが、水道光熱費・医療費・日用品の出費がかさみ、暮らしは限界に達していたようです。
「助けてって言ってくれれば…」
智也さんは何度もそうつぶやきました。父は定年後も少しだけ働き、70歳までは地域のバス会社でシルバー人材として勤務していたといいます。しかし、体調を崩して退職。その後は近所との交流も減り、郵便受けに入るチラシと、テレビだけが日常だったそうです。
「息子に迷惑はかけたくない」「まだ自分でできる」と思い込む“プライド”が、支援の手を拒む結果になってしまったのかもしれません。智也さんはその後、父を病院に連れて行き、当面の生活費と灯油代を工面。地域包括支援センターに相談し、福祉サービスの利用を始めました。
