風のように生きて、風のように逝った
女性は東京郊外の静かな住宅街に暮らしていました。数十年にわたって同じ賃貸アパートに住み続け、近所づきあいもほとんどありませんでしたが、毎朝きちんと掃除をし、季節の草花を鉢で育てていたといいます。
郵便局に勤めていたのはもう何十年も前の話。退職後は年金と少しの貯蓄で慎ましく暮らしていました。親族との縁も薄く、長年の友人はすでに他界していたそうです。
月に一度、地域包括支援センターのスタッフが様子を見に行き、また週1回の訪問看護を利用していました。高齢者がひとりで暮らし続けるにはリスクもありますが、彼女の意志は一貫していました。
「施設には入りません。ここで静かに死ねたら、それが一番」
最後に訪問した看護師は、彼女の顔がとても穏やかだったと語ります。
「お茶をいれてくれて、最近読んだ本の話をしました。最後に“今日も空がきれいですね”と笑っていて……それが、あの方らしかったです」
死後発見は3日後。けれど、それは“孤独死”だったのか?
発見されたのはその3日後。
看護師が訪問予定日に連絡が取れず、管理会社の立ち会いのもと部屋を確認したところ、自室のベッドで安らかに横たわっていたそうです。冷房はついたままで、カーテンの隙間からは夏の光が差し込んでいたといいます。
玄関にはゴミも溜まっておらず、冷蔵庫の中には2〜3日分の食材。郵便物も整理されており、「まさに“準備が整った人”という印象だった」と警察関係者は語ります。
警察による検視の結果、「事件性なし」「持病の悪化による自然死」と判断されました。
人がひとりで亡くなった場合、法的には「異状死」として扱われ、医師ではなく警察が介入することになります。特に身寄りのない高齢者の場合は、自治体や地域包括支援センターが関与することも少なくありません。
こうしたケースでは、「孤独死=不幸」といった図式で語られることが多いのが現実です。しかし、この女性の最期を知る人々は、口をそろえてこう言います。
「たしかに“ひとりで死んだ”けれど、決して“孤独に死んだ”わけではない」
「望んでいた最期を、ちゃんと実現できた人だと思う」
