科研費は大学のお金
大学教員が自らの研究活動のために獲得する外部資金の中で、もっとも一般的で、多くの人がチャレンジするのが、科研費こと科学研究費補助金である。その一般性は、科研費に応募しない教員には大学から支給する研究費を減額する、はなはだしくは与えない、という大学もあることによく表れている。つまり、科研費を取りにいかないということは、研究費を必要としていないということであり、それはすなわち研究の意欲がないことを意味している、というのである。「大学教員失格」といわれかねない状況だ。
だからこそ、大学教員の多くは、どんなにその手続きが煩雑でも、科研費の申請を行う。だが、こうして苦労して獲得した経費が何にでも自由に使えるか、といえばそうではない。注意しなければならないのは、科研費のみならずこうして獲得した経費は、研究業務という「大学の業務のために獲得した外部資金」なので、個人の財布には入らず、大学の会計に入ることである。だからその執行においては、外部資金と大学の会計ルールの双方に従わなければならない。
たとえば、ある研究のために獲得した経費は、研究以外の経費に使えないのはもちろん、他の研究への流用も禁止されている。また、多くの国立大学の会計ルールでは、例外的なケースを除いて研究費で飲食を行うことが制限されているので、「研究費を獲得して学会等のアルコールの出るパーティーに使う」ことは不可能だ。
備品として書籍やパソコン等の設備を買えば、個人ではなく大学の資産になるので、その管理も厳密にしなければならない。出張費についても、所定の金額が決まっているので、予約をするのが出遅れて高いホテルしか予約できなければ、大幅な赤字になることも多い。国立大学の通常の基準で支払われる宿泊費は一泊1万円強にすぎないからだ。対して、現在のロンドンやワシントンの宿泊費は小さなホテルでも3万円を大きく超えることが普通であり、特別な予算措置をとらなければ現地で一泊するたびに福沢諭吉や渋沢栄一が二人ずつ海外に留学することになる。
論文の出版にも投稿費や掲載費等が必要であり、赤字分は個々の大学教員のポケットマネーから補われる。学会に出席し、論文を投稿する。そんな最低限の研究活動を行うのもなかなか大変なのである。
そして、今日の大学に必要な「外部資金」は、こうした研究のための資金だけではない。たとえば、海外から留学生を呼び寄せ、逆に日本から海外に学生を送るためには、ときに奨学金が必要だ。もちろん、学生自らが申請して獲得する奨学金もあるのだが、大学もまたそのための奨学金を持っている。ほとんどの場合、こうした奨学金も「外部資金」として得られたものである。
筆者の仕事の中から、その例をいくつか挙げて見よう。筆者の勤務する部局では2011年度から今日まで、「キャンパスアジア・プログラム」という、中国や韓国の大学との間の学生交換プログラムを実施している(2021年度からは、東南アジア諸国を加えて「キャンパスアジアプラス・プログラム」という名前に変わっている)。
このプログラムは文部科学省が実施する「大学の世界展開力強化事業」の一環として行われている。とはいえ、このようなプログラム実施のための資金が自動的に文科省から降りてくるはずもなく、各大学は申請書を書いてこれに応募する。そしてそのための申請書を書き、文部科学省との交渉を重ね、他の大学との激しい競争の末に、獲得するのも大学教員の仕事である。上手くいけばこれらの資金で、研究費では雇えない特命助教等の教員や事務職員を追加で雇える場合もあるから、大学にとっては貴重な「外部資金」なのであるが、その獲得・維持のための業務量はなかなか多い。