(※画像はイメージです/PIXTA)

「少子高齢化が進み、18歳人口が減少するなか、大学が苦境に陥るのはやむを得ない」と言われますが、少なくとも国立大学の財政難は少子化が原因ではありません。政府の運営費交付金削減と、外部資金への依存が大学運営を圧迫しています。本記事では、政治学者で神戸大学大学院国際協力研究科教授の木村幹氏の著書『国立大学教授のお仕事——とある部局長のホンネ』(筑摩書房)より一部を抜粋・再編集して、国立大学の苦境とその背後にある問題について解説します。

外部資金への依存が招く問題

いずれにせよ、こうして組織運営のための予算を国から削減された大学は、外部からの資金に依存することとなる。しかしこのような外部資金への依存は、さまざまな形で国立大学を疲弊させる。

 

何よりも重要なのは、ほとんどの「外部資金」が1年から数年という年限を限って与えられる資金であり、ゆえにそれらに依存すれば、長期的な観点からの大学運営が不可能になることである。たとえば、新たな教員の「テニュア」での採用は難しくなる。結果、任期付きのポストが増え、教員や事務職員の生活が不安定化する。

 

「外部資金」への依存には、大学内外の資源配分を歪(いびつ)にする副作用も存在する。なぜなら、大学には「外部資金」が比較的獲得しやすい分野と、そうでない分野があるからだ。たとえば、自然科学系であっても、現場に近いレベルで技術の応用を研究する人々には、企業等からの共同研究の誘いが多くあるだろう。しかしながら、応用技術を支える基礎研究を進める人々はそうではない。彼等の研究は、即座に「カネになる」わけではないから、それに進んで出資しようとする人や企業は多くないからだ。

 

そして実は同じことは、筆者のような人文社会科学系の研究者についてもいうことができる。たとえば、筆者の研究のなかで「時事解説」に近い仕事は、学術的には高く評価されなくても、メディアや政府機関の間で需要がある。だから一定の金額で「売れる」し、研究費を得ることもできる。しかし、同じ筆者の研究であっても、韓国の現代史に関わる実証研究であったり、かつての日韓関係に現場で関わった人々の証言を集める(「オーラルヒストリー」という)研究については、そうではない。

 

資源配分の歪化は、世代間にも存在している。筆者のようなベテランの大学教員は、これまで幾度も「外部資金」を取っているから、書類の書き方や研究チームの組み方をある程度知っているし、各種財団へのネットワークもある。しかし、若手の研究者の多くはそうではない。なのでそのまま競争すれば、当然、ベテラン教員や、その研究チームに「入れてもらった」人々が有利になる。研究そのものの価値ではなく、経験やネットワークによって差がついてしまうのはフェアだとはいえないし、何よりも有望な若い研究者の将来を破壊してしまうことになりかねない。こうしたノウハウやネットワークをいかにして共有するかは、現在の大学における大きな問題の一つである。

 

少子化だけではない

こうした議論を行う際、必ず出てくるのは「少子高齢化が進み、18歳人口が減少するなか、大学が苦境に陥るのはやむを得ない」、という主張である。若年層のみならず、日本全体の人口が大きく減少していくなか、日本の大学が現在の規模を維持していくことが、将来的に難しくなっていくことは明らかである。

 

しかしながら、現在の大学、とりわけ国立大学を巡る「今の」苦境が、「少子高齢化の結果」生まれているのかといえば、その答えは、実はNOである。その理由は図6-1を見ればわかる。

『国立大学教授のお仕事——とある部局長のホンネ』(筑摩書房)より
『国立大学教授のお仕事——とある部局長のホンネ』(筑摩書房)より

明らかなのは、将来はともかくとして、少なくとも現在までの段階では大学への入学者は減っていないことである。つまり、仮に大学がすでに志願者の減少に苦しんでいるのだとすれば、それは進学者の減少の結果ではなく、大学の学生収容数が学生数の伸び以上に増えているためか、もしくは学部や地域などの大学の組織の配置が学生側が求める需要に合致していないからだ、ということになる。

 

そしてそのことは国立大学については、より顕著である。なぜなら、私立大学との間の授業格差もあり、大半の国立大学は少なくとも学部生の募集にはあまり苦労していないからである。筆者の勤務校もまたその一つであり、大学の苦境の原因が、必ずしも「学生が集まらないから」ではないことを如実に示している。

 

それでは、国立大学が窮地に陥っている理由は何だろうか。図6-2は、政府が国立大学の運営のために支出する予算の推移である。国立大学が「法人化」された2004年以後、この予算は減少傾向にあり、その減少は大学運営一般に使われる経費において顕著だということがわかる。

 

他方、図6-3は国立大学全体の支出額を示したものである。こちらは着実に増加している。文科省によればその原因は、「教育研究の高度化や国立大学等が果たすべき役割の多様化に加え、光熱水料の単価の上昇、消費税増税といった外的要因」である、という。大学における教育や研究水準は、世界全体の水準に沿ったものであらねばならず、各国の大学がそのための支出を増やしている以上、日本の大学も同様に支出を増やしていかなければ、その国際的地位が相対的に低下するのは当然の結果だといえる。

『国立大学教授のお仕事——とある部局長のホンネ』(筑摩書房)より
『国立大学教授のお仕事——とある部局長のホンネ』(筑摩書房)より

 

政府が支出する「運営交付金」が増加しないのに支出が増加すれば、当然それを埋める他の資金が必要になる。その一つが再三触れてきた「外部資金」だ、ということになる。結果、国立大学全体の支出に占める運営交付金の割合は年々減少している。

 

重要なのは、さまざまな規則でがんじがらめになっている国立大学では、予算が削減されたり、新たな社会的ニーズが生じても、自由に専攻や学科を改廃して、業務を合理化できないことである。たとえば、新しい学部を設置しようとした場合、学内の調整に1年、文科省との調整に1年、そして大学院審議会での審査にもう1年、あわせて3年もの年月がかかると一般にいわれている。そしてそのためには昔の電話帳のような膨大な量の書類を幾度も用意する必要がある。仕事の内容が変えられないにもかかわらず、予算が一方的に削られれば、業務が破綻寸前になるのは、当然の結果である。

 

こうしてみれば、現在の国立大学の苦境は、少なくとも現段階においては、少子化による学生数の減少の結果ではなく、未だ起こりもしていない学生数減少を過剰に先取りして、フライング的に予算削減した結果であることがわかる。大学には依然、多くの学生がいて学んでいる。その環境を支える予算がなくなれば、割を食うのは学生たちだ、ということは忘れてはならないと思う。

 

木村幹
政治学者

※本連載は、木村幹氏の著書、『国立大学教授のお仕事——とある部局長のホンネ』(筑摩書房)から一部を抜粋して紹介します。

国立大学教授のお仕事

国立大学教授のお仕事

木村 幹

筑摩書房

採用、出世、お金、働き方、人間関係、進まないDX化…… ぜんぶ見せます! 時は1993年。若き政治学者・木村幹(27歳)は、愛媛大学法文学部に助手として採用された。「雇用の安定した国立大学に就職し、研究に集中したい…

人気記事ランキング

  • デイリー
  • 週間
  • 月間

メルマガ会員登録者の
ご案内

メルマガ会員限定記事をお読みいただける他、新着記事の一覧をメールで配信。カメハメハ倶楽部主催の各種セミナー案内等、知的武装をし、行動するための情報を厳選してお届けします。

メルマガ登録