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酒税や販売規制をめぐる議論は、現代においても世界中で度々取り上げられています。こうした規制は、自由を尊重しつつ社会の秩序を保つためにどこまで許されるのか──。本記事では、書籍『すらすら読める新訳 自由論』(著:ジョン・スチュアート・ミル 、その他:成田悠輔 、翻訳:芝瑞紀 、出版社:サンマーク出版)より一部抜粋・編集し、19世紀を代表するイギリスの政治哲学者、経済思想家であるジョン・スチュアート・ミルの考え方を通じて、この問題の本質に迫ります。

酒に課税をするのは“合理的判断”か

「個人的な行動のなかに、本人の利益を損なうものがあるとしたらどうか。国はその行動を間接的に禁止すべきではないか。たとえば、人々の過度な飲酒を抑制するために、酒の価格を上げたり、酒を売る店の数を減らして手に入りにくくしたりするのは認められるのではないか」というものだ。

 

こうした実際的な問題は、いくつかのパターンに分けて考える必要がある。

 

「酒を手に入れるのを困難にする」という目的のためだけに価格を上げるのは、酒の販売を禁止するのと大差ない行為だ。程度の違いはあるが、本質的には変わらない。つまり、「酒の販売の全面的な禁止」が正当と言える場合のみ正当化できる。

 

酒の価格が高くなることは、その価格では酒を買えないほど貧しい人にとっては、購入を禁じられるのと同じだ。一方、その価格でも買えるほど裕福な人からすると、自分の楽しみのために罰金を払っているのと変わらない。国と他者に対し、法的な義務と道徳的な義務を果たしている人は、自分の収入の範囲内で自由に楽しむ権利がある。何に金を使うかは個人の問題であり、個人が判断すべきことだ。

 

その観点からすると、歳入を確保するために酒税を上げることも不当な行為だと思えるかもしれない。しかし、忘れてはならないことがある。歳入を確保するための税金は、国にとって不可欠なものだ。そしてほとんどの国では、税収のほとんどが間接税で占められる。そのため国家は、一部の人にとっては「使用禁止」と同じ意味をもつとしても、特定の消費財に課税せざるをえないのだ。

 

国家は、課税する商品を選ぶにあたって、「消費者の生活にあまり必要なさそうなもの」を選ぶ義務がある。なかでも、過度な消費が害をもたらすような商品を選ばなければならない。そのことを考慮すると、国が歳入を必要としている場合、酒に課税するのは合理的な判断だ。税率を最大限に引きあげたとしても許容できるし、むしろそうするのが正しいと言える。

 

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すらすら読める新訳 自由論

すらすら読める新訳 自由論

著者:ジョン・スチュアート・ミル まえがき:成田悠輔 訳者:芝 瑞紀

サンマーク出版

「自由は狂気と表裏一体だ」成田悠輔氏が「まえがき」を執筆。 165年を経た現代SNS社会にも通用する必読の名著! 「この本は『社会は個人に対し、どのような権力を、どの程度まで行使できるか?』について書いたものだ」と…

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