「現金主義」を貫けば資産は減らない!?
今まで述べてきたように皆様が不動産投資を始めるにはまず、目標をどこに置くかということが大事です。
例えば、自分は年収(家賃収入)を1千万円ほしい、と思えば1億円の現金を準備してください。しかし、現実に1億円持っている人は焦って不動産などに手を出さないのが普通です。私も最初に数千万円を手にした時、不動産投資をして将来の財産を構築しようなどと考えることはなかったのです。
儲けを期待して株に走るのが関の山でしょうか。持ちなれないお金を手にすると人生はおかしくなります。それは不要なものを手に入れようとするからでしょう。
現金主義になることが、自分の所持している預貯金を冷静に把握する方法です。銀行にある金を使うというのは、今いくら所持しているかを把握させてくれません。これが資産をなくす大きな原因です。現金を使って、ポケットの有り金を確認するという作業が資産を残す一番の方法です。まずは資産を減らさないことが一番です。
そうであれば収益物件を手に入れることは理にかなっています。ほかのどんな投資方法より、リスクが少ない条件がそろっています。
複数の不動産を所有していれば管理会社へ委託する
もともと不動産業というのは免許の有無にかかわらず、自由業の最たるものでした。落語にも大家さんと店子の話はよく出てきますし、そのころの風俗として住まいは長屋というのが決まりですね。例えれば、いまでいうアパートのことでしょうが、のんびりとしていたのはそのころの家賃支払いの形態が年末一括だったのが理由でしょう。
大家さんも店子といえば自分の子供も同然という表現もあることですし、目くじら立てて家賃の回収をすることもなかったようです。
現在では、ご自身で店子である入居者と対峙する大家さんは少ないと思います。ほとんどが管理会社経由で、店子と直接、接する機会が少ない体制にしていますから。複数の不動産を所有するようになれば、すべての店子を管理するのは無理が生じます。ここはプロの管理会社と管理契約をして収入のみを得ることが一番です(収入は少し減りますが……)。
もしも、ご自身のお金のみで取得されたのでなければ、大きな心で働いてくれる皆さんに利益を分けてあげるのもいいことです。
私がこの世界に入ったのは、大手マンション販売のデベロッパーが山林分譲で財を成した昭和五十年代の中頃です。そのころの不動産業者の労働時間は一日あたり二時間程度で固定的な時間ではなく仲間や情報発信者、土地所有者に売り買いの情報を得て売り買いの相手を探すという、極めてのんびりしたものでした。
自分が望まない限り実現しない「不動産投資家」生活
あなたの目指す、不動産投資家はなんせ、フリーターに近い生活をしているにもかかわらず、収入はサラリーマンの数倍もあるわけですから、どこへ行こうと管理会社と電話がつながれば世界中どこにいても問題にはなりません。つまり、あなたが望む生活はあなたが望まない限り実現しないということです。
とにかく、人生は遊びであると思うか、人生は重き荷を背負うて遠き道を行くと思うか、選択可能ですがどちらがいいでしょうと聞けば大体の人は自分の人生だから人にばかり使われたくないというのが本音でしょう。
そんなビジネスをしていた最初の時代が昭和五十年代でした。まだ消費税がない時代でしたが購入した土地やアパートを売ることでかなりの差額を手にできました。ほとんどが免許は持っていませんでしたし、仲介時には免許業者と組んで仕事をしていました。手数料は折半です。責任はなくて半分もらえれば立派なものです。
不動産を購入すれば、まさに購入直後から自由と責任を負わされるのです。決済後にその土地から死体が出てきてもそれはその所有者が負担すべきで、先の所有者は責任を逃れる時代でした。いまでは売り手の責任が土壌にまでおよび、文化財に至っては売却を大きく左右することとなります。
昭和五十年代の不動産業は、自分で事務所を構えるとブローカーの人たちがたまり場として集まり、自然と商売が成立する、誰かが客を持っているもので売ったり買ったりが成立しました。仲介料は当時も契約額の3パーセントで今とほぼ変わりません。対象物の価格は安かったのですが、家を建てるとか土地を手放して生活費にすることは、ずっと昔から日本では行われていたことですので無理はなかったのでしょう。