インフレーションと資産価格
前回の「インフレ」と「労働市場」の関係に続いて今回は「インフレ」と「資産価格」についてお話ししてみたいと思います。
7、8月は日米両国の中央銀行の動静をきっかけに株式市場が大荒れの展開となり、投資家の皆様に様々な教訓を残したことでしょう。
ご存じの通り、中央銀行に与えられたマンデート(役割、使命)はインフレのコントロールと雇用の安定ですが、日本銀行、米国の連邦準備制度理事会と欧州中央銀行では夫々法律で明示されている内容が異なります。
・米国連邦準備制度理事会(FRB):雇用の最大化と物価の安定を両立させるという「デュアル・マンデート」を採用しています。
・欧州中央銀行(ECB):物価安定を最優先としています。
ちなみに、中央銀行が金融政策を手段として用い、インフレをコントロールするという考え方は、それほど古くからある訳ではありません。しかし、2024年の今、「インフレは収まった。時は今だ。」とジャクソン・ホールのコンファレンス(8/23開催)冒頭のスピーチでパウエル連邦準備制度理事会(FRB)議長が発言したことは記憶に新しいことと思います。今回のサイクルでは、政策金利を5.5%で1年以上維持した効果が、やっと達成されたということです。
では、いわゆる“Great Inflation”、日本では狂乱物価と呼ばれた1970年代に物価が上昇し始めたとき、当時の米国FEDも利上げで沈静化を図ったでしょうか? 答えは否です。1971年にいわゆるニクソン・ショックによって米国の金本位制が突然終了し、戦後の国際金融システムを支えてきたブレトンウッズ体制が崩壊したのです。金という錨を失った通貨は拠り所がなくなり漂流を始めます。結果、ドルの価値は下落し特に1973年10月に始まった第四次中東戦争を契機に発生した原油の暴騰も相まって、オイル・ショックと呼ばれた物価高騰が世界的に波及していきました。
筆者は当時高校生で3学期の初めに登校した帰り道に、いつもの文房具店に寄ってみたところ、ノートの値段が12月から一月ほどで2倍に値上がりしていたことを覚えています。
この当時、実はFRBには金融政策で物価を抑制するという発想はありませんでした。激しいインフレが終息に向かうのは1979年。P.ボルカーがFRB議長に就任し、それまで11%台だった政策金利を、わずか8ヵ月の間に20%にまで引き上げたことで経済は減速し、インフレも落ち着きました。
ただし、その代償がその後に起きた不況-10%を超える高い失業率でした。今回の利上げも、上げ幅は5.25%でしたが失業率は4%程度に留まっています。当時、高水準だったインフレとそれに対抗したP.ボルカーの採った手法がいかに大胆なものであったのかが想像できます。
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