「組織構造」と「権限委譲」は会社の成長に不可欠
「繁盛しているレストランがあったとして、そこの料理長がシェフも給仕長も皿洗いもしていたとしたら、あなたはどう思いますか?」
眺めがいい高層ビルの応接室で、川口社長は若手経営者の話に耳を傾けていました。「単刀直入に申し上げると、川口さん、あなたの現状はそれに近い」。言葉のひとつひとつに反発したい気持ちが沸き起こるのを我慢して、彼は柔らかいソファに腰を落ち着けながら、じっと話を聞いていました。
若手経営者は、次のような話をしました。
「問題は、あなたが真剣に考えていないことです。いえ、仕事そのものやお客さんのことについては、真剣に考えているのでしょう。だから業績はそれなりに伸びている。真剣に考えていないのは、組織構造についてです。『ここまでは社長の権限だ』『ここからは部門長に任せよう』などの意思決定もそうです。組織構造と権限委譲について考える時間とり、真剣にデザインしていないから結局すべて自分でやることになってしまう」
「本当に価値のある仕事とは、1度行うとその効果がずっと発揮されるものだとは思いませんか。大企業は、そうやって長く効果を発揮する仕事が蓄積されてきたから大きくなることができた、と考えられる。組織構造と権限委譲について考え、決めるというのはそういう仕事の代表です。立ち止まって、深く考えることなしにはそういう仕事はできない忙しく立ち回っていると達成感や充実感はあるのでしょうが、そういう仕事からは遠くなる」
「これが高じると、社長がすべての仕事に顔を出すだけじゃなく、現場の仕事をやりたいがために優秀な人を採用しなかったり、自分が教えればいいというスタンスをとったりします。でも、会社が組織として機能するためには、人に任せていかないとダメです。率先垂範も良いのですが、組織構造、つまり仕組みを整える必要があるんです」
川口社長は小さく頷きながら、「そういうものでしょうか……」と弱々しい声を出した。いつもの元気は見る影もなかった。背中は丸く、社内にいるときよりもずっと小さく見えた。
「ちょっと視点を変えて、2つの話を紹介しましょう」と若手経営者は言った。
「1つ目は、松下幸之助さんの話です。彼が幼少期から病弱だったことは有名ですね? 9歳で丁稚奉公に出されたのですが、仕事も休みがちだったそうです。日給なので、休めば休むほど給料は減ってしまいます。けれど、松下少年はめげません。体が弱いからこそ、人に頼んで仕事をお願いすることを覚えたそうです。学歴がなかったからこそ、素直に人に教えを請うようにしたのです。そういう松下幸之助さんが創業した松下電器産業(パナソニック)は、今では日本を代表する企業になりました」
「2つ目は、慶應義塾高校野球部の話です。2023年の夏の甲子園で107年ぶりに優勝したことが話題になりました。髪型をはじめ、練習時間の短さや自由な雰囲気、楽しむ姿などが話題になりました。従来の規則に縛られなくても、限られた時間であっても、ちゃんと結果を出せるのだと彼らが証明しています。その根底にあるのは、森林貴彦監督の『部員たちに任せる』『任せたからには信じる』『信じて待つ』という方針です。まさに人材育成の鏡であり、組織のトップに立つ人間のお手本だと思います」