前回は、相次ぐ苦境を乗り越えた「中小製造業」の歴史を紹介しました。今回は、突然海外赴任を言い渡された筆者の苦労を見ていきます。

結婚式直前にも関わらず「海外赴任」の指令が・・・

経営者としての私のスタートにもまた、途方もなき「苦境」が待ち受けていました。

 

1996年(平成8年)、当時30歳になったばかりで営業部に在籍していた私は、先代社長から突然の社命を受けました。

 

――タイに新しい工場を建設し、稼働させること。

 

えっ? 私はそれを聞いて絶句してしまいました。なぜならその時私は婚約中であり、結婚式を目前に控えていたからです。

 

私に社命を下したのは当然社長ですが、社を離れて家に帰れば実の父親でもあります。当然私が挙式間近であることは知っていますし、嫁や相手の家族のこともよく知っている。結婚は家と家の儀式ですから、相手の両親に対しての責任もあるはずなのに、突然私に「家族を連れてタイに赴任すること」という社命を下してきたのです。

 

――むちゃぶりやんか!

 

私は怒るというよりも半ば呆れた思いで、先代社長の言葉をかみしめていました。もちろん嫁には、結婚直後から慣れない異国の地での新婚生活を覚悟してもらわなければなりません。義母からは「ずいぶん約束と違いますね」と怒られる始末。ほうほうの体で謝って、なんとか挙式することができたのです。

本格的な海外生産拠点を作るべく「タイ」へ

私の会社では、1960年代から韓国、台湾、タイ、中国などへ輸出していましたが、積極的な海外展開とはいえずあくまで国内ビジネスの延長線上でした。そんな中、初の海外進出となったのがシカゴの駐在員事務所でした。

 

1985年のプラザ合意以降、日本では大手企業の海外進出が活発化しました。中でも自動車業界は米国デトロイトに次々と進出、米国市場を狙って現地生産を開始しました。そのニーズに応える形で、シカゴに営業拠点を置いたのです。

 

海外進出としては2カ所目でしたが、本格的な海外生産拠点がタイでした。

 

2016年現在、アベノミクス効果による円高是正で、日本経済はようやく明るい兆しをみせていましたが、イギリスのEU脱退を契機に再び円高に転換。経済に不安の影が差しています。しかし、1990年代の為替相場は、それをはるかに凌ぐ激動の時代でした。

 

1990年代前半の日本は、バブル経済の崩壊による長い不況が続いた時代でしたが、それに反してドル円相場は大幅に円高に振れ続けました。1990年1月に1ドル=140円台だったのが、1994年には1ドル=100円を割ります。

 

そして1995年4月19日、ドル円相場は瞬間的ではありましたが、史上最高値79円75銭と、80円割れという異常事態を起こしました。

 

この円高の波を受けたのが、輸出に頼っていた大手国内製造業です。より安いコストでの生産を目指し、生産拠点を東南アジアに移していったのです。また、これは生産拠点としてだけでなく、今後成長する東南アジアのマーケットも狙った現地生産化への足掛かりでもありました。

 

私の会社も取引先である2輪メーカーや家電メーカーの進出に追従する形で、タイへ工場を建設することになったのです。

 

そこから私は初めての海外、初めての責任者、初めての工場建設、そして工場稼働という途方もない重荷を背負うことになりました。おそらく先代は、親の元を離れて工場建設、稼働というゼロからのビジネスを体験させることで、一ビジネスマンだった私を「経営者」として鍛えようというつもりだったのでしょう。

 

そのことは当時からわかっていましたが、その頃の私は、まだ本格的に家業を継ぐという自覚は薄く、「将来はどうしようかなぁ」と漠然と考えていました。この件だけでなく、とにかく先代は突然無茶なことを命令してくる人でしたから、このまま指示待ち人生でいいのかと、不安だったのです。

 

ところがタイに行ってみると目の前には幾重にも大きな課題が現れ、私は不安など感じている暇もありませんでした。一つひとつクリアするのに必死な毎日。そしていまから振り返れば、それはまだ本格的な「苦境」の前の、ほんの序章にすぎなかったのです――。

本連載は、2016年10月14日刊行の書籍『世界トップシェアを勝ち取った田舎の小さな工場の奇跡』から抜粋したものです。その後の税制改正等、最新の内容には対応していない可能性もございますので、あらかじめご了承ください。

世界トップシェアを勝ち取った 田舎の小さな工場の奇跡

世界トップシェアを勝ち取った 田舎の小さな工場の奇跡

山中 重治

幻冬舎メディアコンサルティング

日本の製造業は成熟期を迎え、国内市場は縮小しています。大手メーカーは海外に市場を求め、海外での現地生産を加速していますが、海外に拠点を持たない国内の中小企業は、生き残りをかけた熾烈な競争を余儀なくされています。…

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