ピンチをチャンスに変えた組織の大変革
社内の組織改革にも着手して、営業戦略の見直しも行いました。振り返れば私の会社では、これまでの歴史の中で非常に経営効率の悪いビジネスモデルのままで経営が行われ続けていました。
初代重治の時代から、特殊な性能を持つ塗料をつくってきましたからどうしても少量多品種となります。また、製造にも手間がかかり、利益が薄い商品が多く並ぶラインナップになっていました。
もちろん高性能多機能商品ゆえに、大手が参入しにくい分野であり、私たちのような小さな田舎の企業でも業界シェアをとり続けることができたのですが、それだけではじり貧です。私はリーマンショックを機に、この部分にもメスを入れることにしました。
それまでは取引先からこんな性能の塗料がつくれないかという声を聞いてから研究が始まる、クライアントニーズ対応型の商品が主流でした。
ニーズに従ってつくるからハズレはありません。必ず購入してもらえるという強みがあり、この流れは途絶えたことはないのですが、これでは商品の生産量や寿命も相手次第となります。開発当初は月に何十トンも購入するという話が、実際に商品化すると受注が半分以下になるということは日常茶飯事でした。
今後は、市場のニーズを見ながら私の会社が主体となって新商品を開発し、それを戦略的に売っていかなければ市場の流れに置いていかれてしまう――その危機感を持って、この苦境に対峙することにしたのです。
国外だけでなく、国内でも売れる商品を作る!
そこで2009年から、「戦略会議」を定期的に開催することにしました。のちにこれは「商品戦略会議」「事業戦略会議」「利益創出会議」の3種類に分かれます。
通常この手の会議は各部の部長だけを集めて開催していたのですが、この頃からはその商品の担当者や担当課長、担当リーダーも呼んで、現場の声や感覚が直接私や経営幹部に届く場にしたのです。
その中で話し合われたのは、国内市場で活躍できる新しい商品の開発でした。
2000年代からは海外展開が活発になり、海外の現地法人や工場の売り上げは急激に伸びていました。既存の耐熱塗料やフッ素樹脂塗料等はバイクやホットプレート、電子レンジの内装などに採用されており、国内市場ではすでに商品自体が各家庭に行き渡り、市場は頭打ちでした。
しかし、東南アジアを中心とする海外では、国が豊かになると同時に、これらの商品が飛ぶように売れるようになり、生産を急増させていたのです。それに対して国内での新規事業は弱いものでした。いままでの主力商品ではない、会社の将来を担う商品を開発することは急務でした。
最大のピンチだからこそ、それを「苦境バネ」として最大のチャンスを生むことができないか――。私はオキツモの歴史と照らし合わせて、いまこそ会社として飛躍する時だと感じていました。
そんな思いで会議を重ねていく中で、ある商品が戦略会議の話題に上りました。その商品は、これまでの塗料とは製造工程が全く異なるため、多くの部長や幹部が無理だろうと判断した商品です。私の興味を惹いた理由は、ある若手二人が、口をそろえて「やらせてください」と発言したからです。
――これはやってみる価値があるんちがうかな。
私は彼らのやりとりを聞きながら、そう感じました。当初は幹部と同じように、いままで挑戦したことがない商品づくりに、「駄目やろ」と思っていたのですが、彼ら二人の熱意にほだされて、考えが変わったのです。
その事業こそが、今後10年20年、いやもっと長い将来を支えてくれるだろう新事業の第一歩だったのです。