一夜にして「9割」吹っ飛んだ大口受注!
「部長、R社の担当者からいきなり『もうオキツモさんとは取引をしません』といわれてしまいました。年間2億円の取引が消えました。担当になった初めての日だというのに。いったい私はどうしたらいいんでしょうか――」
忘れもしません。2008年の秋のことでした。
新しくR社の担当になったコーティング事業部の藤村(現・課長)から、豊永部長(現・取締役)あてに涙ながらの電話が入りました。
折しも私の会社では組織改革の真っ只中でした。
私の会社は三重県の山間にある小さな塗料メーカーです。塗料といえば一般的に建物の外装や自動車などに使用される、「美観を整える」ために用いられるものを思い浮かべますが、塗料に記事は塗装するものを「保護する」という重要な役割もあります。
[図表1]塗料の分類
国内の生産量は160万トン。出荷金額は7000億円弱(2014年)という業界で、大手数社が年間数百億から数千億円の売り上げを占め、残りは100億円以下の企業が存在する比較的狭い業界です。
[図表2]平成26年度(4月~ 3月) 塗料生産・販売(出荷)金額
[図表3]2015年塗料業界売上高ランキングトップ5
中でも、私の会社では耐熱や放熱、環境配慮といった「特別な機能」を付与した塗料をつくっています。代表的な製品は耐熱塗料やフッ素樹脂塗料。自動車やバイクのマフラー、グリルやオーブンの内部塗装、フライパンやアイロン、ホットプレートなど、高熱に耐える塗料を得意としています。
2008年以前は、取引先の業態にあわせ4輪、2輪、調理、電気・機械のグループからなる営業部制を導入していましたが、各事業の将来性を見込み、カンパニー制を目指し、事業部制を導入。塗料を販売する機能性塗料事業部、製品のコーティング加工までを請け負うコーティング事業部、環境対応製品を開発する環境商品事業部の3事業部を立ち上げたのです。
[図表4]オキツモの当時の取扱商品 売り上げ構成
この日はその初日ということで、配属になった藤村たちは年間3億円、事業の大きな柱であるフッ素樹脂コーティング加工の9割を占める、会社の主要取引先であるガス器具メーカーに挨拶に向かったのです。
その初日に、いきなり大口の取引先から発注をやめるといわれたのですから、まだ若かった藤村にとって計り知れないショックがあったことは間違いありません。
私としても、当時は4代目社長を引き継いで5年目。それまでは売り上げも順調に伸び、次の中長期計画では念願の売り上げ100億円を目指そうと幹部たちと話し合っていた矢先のことでした。
実は藤村の電話は事の発端にすぎませんでした。営業の最前線にいる社員たちから受注が激減するという報告が次々と入り、経営者としての最初の試練となりました。
いうまでもなくこの時の経済の異変は、アメリカ合衆国の投資銀行「リーマン・ブラザーズ」の経営破綻を引き金とする世界的な金融危機、いわゆる「リーマンショック」の余波でした。
それ以前のアメリカの経済は、ロケット開発をしていた優秀な元研究者がウォール街に流入し、知恵を絞ってつくり出したレバレッジ型の新金融商品によって、一種のバブル状態にありました。複雑に設計された金融システムにより、債権が次々と証券化され、どこの誰がリスクを持っているのかわからないような仕組みの中を、大量の資金が流れていたのです。
その一つとして、低所得層への住宅ローン「サブプライムローン」が証券化された商品が生まれ、膨大な資金が流れ込んだことから、いつ破綻してもおかしくない、危険な状態が続いていたのです。
その住宅バブルがついに弾けたのは2007年の後半のこと。その影響をもろに受けた巨大投資銀行リーマン・ブラザーズが、2008年9月15日に倒産して、そこから多くの金融機関を巻き込んでの金融危機となったのです。以後は、経済界のあちこちから阿鼻叫喚の断末魔の叫びが聞こえてきました。
各業界の大手企業が「破綻」の憂き目に
日本国内でも火の手はすぐにまわりました。リーマン・ブラザーズの日本法人は、9月16日に負債総額3兆4000億円を抱えて民事再生法を申請。そこから大手上場企業を含めての連鎖型の大型倒産が始まりました。
この頃倒れたのは、不動産投資信託を扱う「ニューシティ・レジデンス投資法人」、生保業界では「大和生命保険株式会社」、建設業界ではマンション分譲等を手がける「アーバンコーポレイション」などです。
この影響を受けて、2009年には不動産開発の大手「穴吹工務店」、2010年には電気通信事業者の「ウィルコム」、消費者金融の「武富士」等、様々な業界の大手企業が経営破綻の憂き目にあい、経済の泥沼に沈んでいったのです。
その結果あらゆる業界で仕事と資金の流れが滞り、日本経済全体までもが沈みかけるという、未曾有の恐慌状態となりました。
もちろん私の会社のような社員160名前後、資本金9981万円、年商65億円程度の企業は吹けば飛ぶような存在です。
取引先はほとんどが製造業でしたから、生産量を縮小、内製化を進める企業が続出し、次々と今後は取引をやめる、取引を縮小するといわれて各担当者は青息吐息状態となりました。全社としても、売り上げの半分が消えるのではないかという悲惨な状況となりました。
このままうちも設立60余年で命運が尽きるのか――、私の脳裏には一瞬、最悪のシナリオが浮かんできていました。