【事例】50年の繁栄から5年で転落
小さな製造所から全国展開の小売業へ。A社の繁栄の歴史は50年にわたります。A王国と揶揄されることもあったくらい、創業者であり社長のK氏の経営手腕と、創業からK氏を支えてきた親族経営が特徴です。
小売だけではなく、法人を対象としたコントラクト契約もしており、順調に業績規模を拡大してきたのですが、2010年代に入ってから、顧客層の購買力低下、海外企業との価格競争、インターネットショッピングの隆盛などにより翳りが見え始めます。折しも、70歳を迎えたK氏は、後継者である娘のK美さんに権限を移譲していく段階に差し掛かっていたのです。
K美さんはK氏の跡取りとして早くから経営に携わっており、会社はほぼこの二人のトップダウン方式で運営されていました。つまり他の役員は、長年、経営にノータッチの親族で占められていたのです。
カリスマ的な存在であったK氏が元気な現役であるうちは、それも良かったでしょう。K氏の長年の知識や人脈、安定した経営戦略に、K美さんのフレッシュなアイデアを取り入れることで、バランスの良い状態が保てたのです。しかしながらK氏の引退とK美さんの社長就任が現実味を帯びてきたあたりから、様々な問題が起こり始めたのです。
ターゲットとなる顧客層をミドルアッパークラスに定め、手厚い会員制度など質の高さを戦略に据えることで競合他社と差をつけるべきと主張し、安売り、薄利多売に反対するK氏。時代に合わせ、廉価とコスパをアピールしていくべきだと主張するK美さん。真逆の価値観が激しく衝突しました。
またK氏にとり世間知らずに感じられるK美さんを支えるだけの経験と能力がある幹部が育っていないことも、悩みの種でした。「姫が女王として政を行うには、雛人形と同じでな、優秀な三人の秘書、五人の騎士、賢者が二人いるんだ。金や物が揃っているだけじゃ駄目なんだよ」K氏の言葉にも反発するようになったK美さんを、忠実に支え、時には嗜め導く、そんな忠臣を求めて、大幅な中途採用が急速に行われました。
ところがこの中途採用した幹部の中に、不適切な者たちがいたのです。彼らは、K美さんをけしかけ、K氏の解任、社名変更、大手他社との提携(事実上の吸収合併)を企みました。実質上の乗っ取りが目的です。
これに対し、反K美派である古参社員を中心としたK氏派が反発し、ストライキや株主総会でのK美社長解任決議が起こりました。さらに、社内で怪文書が出回るなど不穏な状態が続きました。度重なる社長交代、二転三転する経営方針、公の場での骨肉の争い……。約5年の戦争が終結したときには、実に、いくつかの取引先を失い、売上は激減、社員の退職や解雇も相次ぎ、相当な没落ぶりだったのです。
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