「生活の本拠」は客観的に判断すべきとした過去の判例
前回の続きです。「住所」については、民法をみると「生活の本拠」をいうと書いてあります。
民法22条
各人の生活の本拠をその者の住所とする。
また、過去の税法以外の判例(下記のとおり、いずれも公職選挙法において問題になった住所についての判例です)では、その「生活の本拠」は、客観的に判断すべきである、と判示されていました。
最高裁昭和29年10月20日大法廷判決・民集8巻10号1907頁
およそ法令において人の住所につき法律上の効果を規定している場合、反対の解釈をなすべき特段の事由のない限り、その住所とは各人の生活の本拠を指すものと解するを相当とする。
最高裁昭和32年9月13日第二小法廷判決・集民27号801頁
しかし公職選挙法上においても一定の場所を住所と認定するについては、その者の住所とする意思だけでは足りず客観的に生活の本拠たる実体を必要とするものと解すべきところ、これを本件について見るに、原判決の確定した事実関係によれば、上告人は昭和29年12月下旬以来、前記の場所を住所にしようとする意思があつたかも知れないが、同所は上告人の生活の本拠たる実体をそなえるに至らずそのままで本件選挙期日に至つたものと認めるのが相当である。
最高裁昭和35年3月22日第三小法廷判決・民集14巻4号551頁
公職選挙法及び地方自治法が住所を選挙権の要件としているのは、一定期間、一の地方公共団体の区域内に住所を持つ者に対し当該地方公共団体の政治に参与する権利を与えるためであつて、その趣旨から考えても、選挙権の要件としての住所は、その人の生活にもつとも関係の深い一般的生活、全生活の中心をもつてその者の住所と解すべく、所論のように、私生活面の住所、事業活動面の住所、政治活動面の住所等を分離して判断すべきものではない(昭和29年10月20日大法廷判決、集民8巻1907頁参照)。
「贈与税を回避するという意図」を問題視したが…
本件の場合は、生活の本拠として、受贈者、つまり贈与を受けた人が住んでいたのは香港であることは、事実としては間違いがありません。そこで、そのままの事実をベースに考えれば、香港、すなわち国外に住所があったことになり、それゆえ贈与税は課税できない、という結論が導かれます。
しかしそのようなことになると、租税回避をしようと考えて行った人の思惑どおりではないか、ということになってしまいますよね。そこで、課税庁は、住所の概念を、民法における概念より少し広げて、「居住意思」という納税者の主観、つまり、どういう意図を持っていたのか、今回でいえば贈与税を回避するという意図を持っていたということであれば、本当に香港に住む、という意思はなかったのではないか、ということを捉えます。
そして、住所の概念について、こうした納税者の主観(居住意思)も、住所がどこであるかの法解釈のなかで考慮すべきである、と主張したのです。裁判所の判断が分かれているのも、結局は「住所」という概念を考えるにあたって、つまり、「住所」の法解釈として、民法どおり、客観的な事実だけで判定すべきなのか、それに加えて税の問題なので、租税回避の意図といった納税者の主観的な意思も考慮して、住所という概念を判定すべきなのか、といった点にあるのです。
最高裁(上告審)、それから地裁(第1審)は、結論としては、住所は国外(香港)にあるということで納税者を勝たせています。いずれの判決も、住所の判定にあたって、客観的な部分を重視しているといえます。後で説明しますが、地裁は主観的な納税者の意思も補充的にはみてよい、とはいっています。
これに対して最高裁は、客観的にみるべきである、ということで徹底的しています。これに対して、住所はやはり日本国内にあるということで課税庁側を勝たせた高裁(控訴審)は、住所という概念の法解釈において、納税者の主観的な意図も1つの考慮事情に挙げるべきだということをいっています。